卒業生へ 贈る言葉

卒業おめでとう.

君たちは眞鍋が送り出す11回目の卒業生になります.
思い返せば,私が最初に送り出した世代の主将は,「石垣剛史」というデカスリートでした.

そして,今日,国際武道大学第30期生として送りだす世代の主将は,同じくデカスリートの武本泰漢.

250名を越える部員,それぞれの世代を思い返す時には,やはり主将の名前と共によみがえるものですね.


武本泰漢.私は君を一生忘れないでしょう.

怪我を乗り越え,努力によって前に進み続け,仲間を牽引してきたその姿.

君は表彰台の一番高いところに登ることはなかったけれども,一番努力し,一番耐え,前に進み続け,ついに武大陸上部として初めて私の記録を超えてくれました.

そして,失意の日本インカレの後,君は最愛の母を亡くしました.それでも前に進み続けている,今の姿を私は決して忘れることは無いでしょう.


努力は報われるものではない.報われるまで努力を続けることが大切である.
誰もが知っていることだけども,誰しもが為し得ることではない.
君は陸上競技を通して,私達に教えてくれました.お母さんも天国で喜んでいると思います.


私が常日頃から伝えていることですが,人生において成功を収めるために重要なことがあります.

「好きなこと」「得意なこと」「求められていること」

この三つの矢印を,いかにして伸ばし,そして近づけるかです.

たとえ,好きなことがあったとして,それが他人から求められているとしても,得意でなければ仕事として認めて貰えないでしょう.
一番得意なことが求められているとしても,好きで無ければ,その人生に充実はありません.


私達人間は,他人はおろか,自分自身の心でさえコントロールすることはできません.何がキッカケで好きになるのか,何が理由で求められるようになるのかをコントロールすることはできません.

けれども,得意は作ることができます.
君たちは,自らの意思と,努力という能力によって,自らが望むものを得意にすることが出来ます.

今日,大好きであった学生生活を終えます.得意であり,求められていた陸上競技生活を終えます.

そして次なる得意を作らなければなりません.
大きな希望と小さな不安.それとも小さな希望と大きな不安でしょうか.

でも大丈夫.君たちには得意を作るための方法を4年間かけて学んできました.努力という結晶を君たちは持っています.

普段の努力と,不断の努力.


どうか,勝浦の地で,国際武道大学で学んだことを忘れないでください.そして,努力することに疲れてしまった時,後ろを振り返りたくなった時には,ぜひ海を見に,グラウンドに戻ってきてください.

私達は,君達の第二のふるさとにて,その成長を見守っています.

卒業おめでとう! 


国際武道大学陸上競技部監督
眞鍋芳明

Internationaler Intensivkurs Leipzig, 24.02.-04.03.2017

ライプツィヒ大学@ドイツにおけるトレーニング科学集中講座.東独で派生したコオーディネーションをテーマとした50時間以上の講義で,Dr. Joachim Minou教授,Dr. Christian Hartmann教授の両名を中心に,その歴史から生理学,運動学,トレーニング学はもちろん,個体発生論,さらに側性から認知行動学に至るまで多岐にわたる充実した内容(講義内容を鑑みれば,50時間というのはあまりにも少ない.本来ならば数年かけて習得すべき内容).


一つ一つの内容については特に目新しいものは無くとも,驚嘆すべきはそれらをひとつの学問のように体系づけていること.いわゆる「ライプツィヒ学派」と表現される理由がわかる気がした.


レーニング現場において,指導について考えた結果,「やらせる」ではなく「勝手に出来てしまうようにさせる」ことが一番重要と捉え,そのために野生化トレーニングだの,コーディネーション(注,コオーディネーションではない)だの,フィジカルリテラシーレーニングだのを提唱してきた.こうした取り組み自体,大枠として間違いがないと確信させてくれたこと,理論的根拠を加えてくれたことに大きく感謝をしたい.


重要なのは,ここで学んだことを即座に何かに利用するというのではなく,一度しっかりと腑に落としこみ,自分の中に何かが生まれてくるのを待つということか.


レーニングポリシーが大きく変わることは無いが,熟成され,深みが増すことに期待したい.




・ ・・久しぶりの学生生活.楽しいです.

Physical Literacy

Physical Literacy

とあるプロ関連の講習会などでも盛んに言っていること.


「球体の心」の上に「台形の体」,そしてさらにその上に「三角形の技」が乗っているという心技体のモデル.

恩師が講演会などで発表しているモデルである.

そこに,MNBはPhysical Literacyという概念を追記したい.



図示するとすれば,台形の体,その上部にある「内側から外へ広がろうとする力」のようなもの.

この力が大きければ,体力要素は大きく変化しなくとも,上に乗っかる技の三角形を大きくできる.

この概念図は思いつきでつくったものなので,あまり目くじら立てないでください.



似たような概念(と勝手に思っている)について,ウェストバージニア大学大学院でコーチングを専攻しながら、男子バスケ部でマネージャーとして活動している森高大氏は「体の賢さ」という用語で説明している.

スキルの習得量 = 練習量 × 体の賢さ



こちらのほうがわかりやすいかな.

「体の賢さ」とは何か!? と問われると,「世間一般的に認知されている運動神経」であると答えざるを得ないw

運動神経が良い子供は,何をやってもすぐにできる. というのがそれ.



Physical Literacy,体の賢さを上げるということは,直近の競技成績には影響を与えない(むしろ,競技パフォーマンスに直結する練習時間を奪うので,競技性的は停滞する可能も)が,長い目でみると取り返しのつかないような差を生み出す可能性がある.と思う.

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます.
今年もよろしくお願いします.

実生活が充実しすぎてブログを放置してきましたが,ぼちぼち再開しようと想います.


やはり思いは形にしないと.


新年を迎えるたびに思うことがあります.よく新年の抱負などを書き初めしたりしますよね.気合いがはいっていいものなのですが,なかなかそうも上手く目標や豊富が決まらないことも.

ましてや,それが具体的な方法論などを内在することは,むしろ稀ではないかと.少なくともMNBはそうです.目標なんかなくたって日は昇りますし,ブログを放置していたって明日は来ますw.

それでも,我々は人間として生を受けたので,やはり何かに向かって走りたいもの.だからこそ,心も世間も落ち着きをとりもどす新年くらいは,人生の目標について何か定めようと気合いが入るのでしょうか.


そこで一つアドバイス

ぼんやりとした目標を掲げつつも,具体的に何をしたらいいかわからない人,定まらない時.そんな時には「誰かの言葉」を思い出してみましょう.

陸上部ならばMNBが集合などで伝えている言葉でもよし.コーチでも先輩でも,恩師でもご両親でもよし.

その中には,きっと気づいていないだけで,実は珠玉となる言葉があるはずです.そこに自分を当てはめてみて,そして自分ができそうなこと,やりたいこと,すべきことを考えてみる.

私たちは自分自身のことを意外とわかっていないものです.他人の目からみた何かに気づかされることってすごく多い.自分自身の内面に目を向けるのも大切ですが,他人の思いを当てにするのも大切ですね.話題の逃げ恥ではありませんが.



成功の反意語は失敗ではないという話をしたことがあると思います.
成功と失敗は同じ方向にある.その反対側にあるのは「何もしない」です.


このブログみたいに,新年にはいってからの思いつきでも,なんとなくでもいい.キッカケは何であれ,まずは動いてみること.

さあ,2017年も前に進みましょうか.

教養を身につけるということは,他人の畑で食物を育てられるというこ

教養を身につけるということは,他人の畑で食物を育てられるということである.

他人の土俵で相撲をとる...とも言い換えられる.



私の授業では専門科目の授業内容以外に,教養(的)の話をすることが多い.

専門分野である体育・スポーツが得意なのは当然のことで,いざ社会にでて勝負を決めるのは,実は専門外の分野であったりするからだ.



MNBが尊敬する人物は数多くいるが,その誰もが「専門外」の話が極めて面白いのである.

専門外の仕事,趣味,なんでも良いが,お会いして話を聞く度に新鮮な気持ちにさせられ,「会って良かったなあ」という余韻を残してくれるものだ.

これは,その人の頭脳,つまりOSが一流なのである.

そしてそうした人ほど,趣味,専門外についても造詣を深めていることが多い.

そういう人と話をするのは本当に楽しい.



逆に,自身の専門分野における話しかできない人は,数回会えばお腹いっぱいになってしまう.それが決して悪いというわけではないが,やはり人としての浅さを感じてしまい,どうしても魅力的には映らない.

教養のあるなしとは,まさにそういうことだろう.

士別れて三日 なれば刮目して相待すべし

士別れて三日 なれば刮目して相待すべし(三国志演義

呉の呂蒙に関するエピソードで出てくる言葉だったかな.



仕事ができるなぁと思わせる人間ってのは,会う度に新しい情報や,何かしらの成長を見せつけてくるものであり,とにかく成長のスピードが早いのが特徴.

それは業務内容や資料とか,論文とか,そうしたお堅いものだけじゃなくて,その人の身の回りに関わることとか,趣味とか,,,,なんでもそう.



あれ? この前始めたばっかりっていってなかったっけ? もうそんなに上達してるの? 的な.

CMでみる1UPというフレーズに置き換えると解りやすいか.



ただ,問題なのは「実体験」だけで成長スピードを早めることは困難だということ.

もちろん人生には大きな転機や,僅かな時間でとんでもない苦労や,変化を強いられるときもあろうが,それが毎年,毎月,毎週のように襲ってくることは希だろう.



にも関わらず,やはり成長速度が早い人がいると感じるのはなぜか.

その要因の一つは「読書量」であろうと思う.



たとえば,何かしらの趣味を始める.

とたん,その趣味に関する本をかたっぱしから読み込む.



新しい授業を担当する.

関連書籍を片っ端から漁る.



新しい研究テーマに取り組む.

キーワードがひっかかる先行研究はとりあえず全て手に入れる.



そんな取り組みをしている人は,やはり成長が早いと感じる.



陸上やるのも一緒.実体験だけで進むのは牛歩のごとし.

図書館にいけば,タダで情報が手に入る.



今はAmazonなるものがあり,下手したら書店に買いに行くよりも早く手に入る場合もある.



今日から後期のガイダンス授業がスタート.

2ヶ月弱の休み期間,大きく成長してきたのか,停滞しているのか.

学生の顔を見るのが楽しみである.

スポ根性マンガの功罪?

先日,主将とトレーニングについて話していた時である.

「先生,いわゆるスポ根マンガによって『努力は必ず報われる素晴らしい宝物』という思想が植え付けられたのだと思います」



なるほどと思った.

スポーツをテーマとしたマンガの殆どは「主人公は素人.でも天才的な武器があって,それを努力と根性で磨き上げ,挫折を繰り返しながらも最後は成功する」というストーリーで仕立てられている.

「インターハイチャンピオンで,要領が良く,トレーニングの選択も適切.大きな挫折や怪我もすることなく,世界で活躍するトップアスリートになった」という努力をクローズアップしていないストーリーは少ない.



だからなのか「努力が一番重要」という風潮が(日本の?)スポーツ界にはある. という意見.



先に断っておくが,努力の素晴らしさを否定するつもりは毛頭ない.

ただ,「あいつ,結果でてないけど,本当に頑張ってるんですよ.評価してやって下さい」と言われれば,「努力の仕方が下手なんだね」という評価を下す.



レーニングの本質とは,いかに効率良く競技力を高めるのかということである.



1日のなかでトレーニングに費やせる時間が多い大学生アスリートと接していると,時間がありすぎるからこそ無駄な努力に気づかない.けれども,それなりに競技力は上がっているから,今のやり方は正しいのかな....と考えている選手が多いように感じる.

本来,トレーニングなんというものは仕事と一緒で,出来るだけ短い時間かつ出来るだけ少ない労力で最大の成果を上げることが重要なはずである.

そこに一点集中の努力をつぎ込み,成功を収めるべきである.

さらに言えば,トレーニングの効率化によって空いた時間こそ回復に充てるべきである.



にも関わらず「とにかくグラウンドに長い時間いることが美徳である」という考えがスポーツ界には多い.

もちろん,スキルについては異なる.それでも,集中力を欠いた状態で長時間実施するのは,やはり間違っているのではと思う.

それならば,練習回数を増やすべきだ.朝,昼,夕方,夜,深夜と繰り返すほうが,定着と向上には効果的だろう.

そいう意味で「あいつはいつみてもグラウンドにいる」という選手は強いのは理解できるし,その「努力」には価値があろう.



競技者はもっと「努力の仕方」に目を向けるべきだ.

弱くなる練習,強くなれない練習はいくらでもあるのだから.