スポ根性マンガの功罪?

先日,主将とトレーニングについて話していた時である.

「先生,いわゆるスポ根マンガによって『努力は必ず報われる素晴らしい宝物』という思想が植え付けられたのだと思います」



なるほどと思った.

スポーツをテーマとしたマンガの殆どは「主人公は素人.でも天才的な武器があって,それを努力と根性で磨き上げ,挫折を繰り返しながらも最後は成功する」というストーリーで仕立てられている.

「インターハイチャンピオンで,要領が良く,トレーニングの選択も適切.大きな挫折や怪我もすることなく,世界で活躍するトップアスリートになった」という努力をクローズアップしていないストーリーは少ない.



だからなのか「努力が一番重要」という風潮が(日本の?)スポーツ界にはある. という意見.



先に断っておくが,努力の素晴らしさを否定するつもりは毛頭ない.

ただ,「あいつ,結果でてないけど,本当に頑張ってるんですよ.評価してやって下さい」と言われれば,「努力の仕方が下手なんだね」という評価を下す.



レーニングの本質とは,いかに効率良く競技力を高めるのかということである.



1日のなかでトレーニングに費やせる時間が多い大学生アスリートと接していると,時間がありすぎるからこそ無駄な努力に気づかない.けれども,それなりに競技力は上がっているから,今のやり方は正しいのかな....と考えている選手が多いように感じる.

本来,トレーニングなんというものは仕事と一緒で,出来るだけ短い時間かつ出来るだけ少ない労力で最大の成果を上げることが重要なはずである.

そこに一点集中の努力をつぎ込み,成功を収めるべきである.

さらに言えば,トレーニングの効率化によって空いた時間こそ回復に充てるべきである.



にも関わらず「とにかくグラウンドに長い時間いることが美徳である」という考えがスポーツ界には多い.

もちろん,スキルについては異なる.それでも,集中力を欠いた状態で長時間実施するのは,やはり間違っているのではと思う.

それならば,練習回数を増やすべきだ.朝,昼,夕方,夜,深夜と繰り返すほうが,定着と向上には効果的だろう.

そいう意味で「あいつはいつみてもグラウンドにいる」という選手は強いのは理解できるし,その「努力」には価値があろう.



競技者はもっと「努力の仕方」に目を向けるべきだ.

弱くなる練習,強くなれない練習はいくらでもあるのだから.