何故,陸上競技をするのか

学生(大学生,高校生,中学生)を対象に,陸上競技に関する講義・講演をする際に,必ず訊くこと.

「なぜ,陸上競技をやっているの?」



答えはまちまち.

そのなかで回答数が多いのは「好きだから」



肯定的なのは良し.

もちろん,「好き」の要素が大きいのは良いのだけど,逆にいえば「好き」なだけで,あれほど苦しい練習ができるのか? ・・・・と,再度質問すると,やっぱり答えに詰まる学生は少なくない.


2012年6月10日の日記「引退する君へ」


でも書いたけど,最初は誰だって「好き」で始めたと思う.



友達に誘われたり,先生に勧められたり.

あまりやる気はなかったけど,やってみたら結構楽しかったり,仲間よりも上手くいったりと,「好き」という極めて肯定的な感情が大きく心の中を占めていたと思う.

親に自慢したりね.




でも,多分,今の君たちはそれだけじゃないだろう? と問いかける.

ただ「好き」なだけで,心身ともに限界ギリギリまで追い込む練習の日々を乗り越えることができるのか? と.



多分,陸上競技を続けてきた背景には,様々な段階があるのだけど,その途中で問いかけることが少なくなり,いつしか入り口にあった「好き」という言葉で,陸上競技を続ける理由を片付けていたのではないかと.

かくいう自分だってそうだったと思う.

だって,理由なんかなくても練習はできるし,試合で結果もでるしね.

そこに「やっぱり勝てた時は嬉しいから好き」と後付けだってできる.




けれども,指導する側になって学生達,選手達と接して,何かを理解してほしいと思ったときに,まずは指導者である自分が「なぜこの学生達は,選手達は陸上競技を続けているのだろう」ということを理解しなければならないと感じた.

で,色々と考えた結果,人それぞれではあるけれど,大きく分けると以下のような段階があると結論づけた.


1.好きだから
2.褒められたいから
3.自分が感動したいから
4.他人を感動させたいから


まあ,これはMNBの勝手な結論なので,そんなに目くじらは立てないでください.



多くの選手の入り口は,やっぱり「好き」だと思う.

かけっこして他人よりも速かったとか,遠くに跳べたとか投げれたとか.

いずれにせよ,「陸上競技をやるだけで楽しい」という段階.

でも,それはすぐに通り過ぎる.なぜなら人間は慣れの生き物だから.

そして次に生まれるのは「褒められて嬉しい」という感情ではないかと.

もちろん,その反対である「けなされて悔しい」も同類とする.

陸上競技そのものに取り組むのは大変で,もっと上手くなるのは辛くって.でも,頑張った分だけ「褒めらたり」「ご褒美をくれたり」するから,とりあえず我慢して頑張る.

それが次の段階.



そして,それを通り過ぎると,自分が頑張ることでいろいろなことが変わることが分かり,そして何より「自分自身が感動できる」ことに気づく.

この段階は,人間的にもかなり成熟した,高いレベルになければ難しいかもしれない.

「他人がどうであれ出来て嬉しい」「自分自身が理想としていた投げができた」といったレベル.

そもそも自分で設定した目標をクリアできたかどうかであるため,他人からの評価は二の次となる.



そして最終段階は「周りを感動の渦に巻き込めるかどうか」

仲間のためでも良いし,日本スポーツ界のためでも良い.

よく,インターハイなどで「信じられないような記録」や「近年まれに見る好勝負」や「あり得ないほどの大激戦」などがみられるが,これこそ「仲間のために,仲間とともに」という気持ちが極めて強く働いた結果ではないかと思う.

純粋な高校生にはこの「仲間のため」という感情は素直に生じやすい分,強烈な力を発揮する.

あ,いや大学生が悪いとかじゃなくてね.

それこそ,自分自身が犠牲になっても,仲間の勝利のために頑張るというレベル.

多分,そこまでの精神状態に到達できれば,プレッシャーがどうとか,肉体的苦痛がどうとかは通り越しているはず.



という段階があるんじゃないかと思うわけですよ.

もちろん,これは行ったり来たりするもので,高校生3年生で最終段階まで来たけど,大学に入学したらまた下の段階に戻るというのは良くあること.

だって,陸上競技は競争でもあるわけだから,競う相手やレベルが変われば,やっぱり「なぜ」の内容も変わるでしょ.

「何しても負けない」というのと「なかなか勝てない」というのは違う.




そして興味深いのは,この言葉の最初に「どれくらい」をつけると,その選手が「どれくらいのレベルを目指しているのか」がわかる.同時に陸上競技に対する熱意,情熱もわかる.



どれくらい好きなの?
どれくらい褒められたいの?
どれくらい感動したいの?
どれくらい感動させたいの?



上位の段階に移行するほど,下位の段階(感情)は薄まり,あまり意味を持たなくなる.

とにかく他人を感動させ,一大ムーブメントを起こしたいから,褒められるとか好きとかキライとかはどーでもいい.という感じ.


つまり,「なぜ陸上競技をするのか」という問いかけは「君が陸上競技でどれくらいのことをしたいのか」「陸上競技を通して何を得たいのか」という問いに繋がり,それが陸上競技に対する情熱,練習の熱心さや,日々の生活をどれだけ傾けるかに大きく影響するということ.

練習をしない後輩などに「練習せーよ」という前に「何で陸上競技やってんの?」と問いかけるのもありかもしれないわけだ.

だから,講義では必ず「なぜ」と問いかける.

自分自身の心を覗いてほしいから.




今ひとつまとまりはないかもしれないけど,今後も「なぜ陸上競技をするのか」については考え続けようと思う.