受講生の心をつかむとは空気を支配するということ

かつてKYという言葉がはやった.

たしか「空気を読めない」という意味だったかと思う.

では,この「空気」とは何だろうか.

その場の空気,雰囲気,少なくとも「Air」ではない.

KYという言葉が生まれている時点で,日本人は相手との,もしくはその空間に浮遊する空気という気体がもつ何かしらのメッセージを読み取ることができることがわかる.



なんとなく,その場の空気に押されて立候補してしまう.

なんとなく,その場の雰囲気がいやで立ち去ってしまう.

なんとなく,その場の勢いがあって仕事を引き受けてしまう.



空気というものは大変な力を持っていることがわかる.

本人は「なんとなく」と感じているようだが,その実,空気によって行動を起こしていることは事実である.

誰かに命令されたり,それが理論的に正しい,正しくないかはわからないにも関わらず,行動を起こさざるを得ない,決断をせざるをえない状況.それが空気だ.

この空気という存在は,つかみ所のない絶対的な権力として我々を取り囲んでいる.




以前にも書いたと思うが,MNBは授業における最初の5分.いわゆるつかみを大切にしている.

そして受講生や聴衆をつかむということは,つまるところ空気を支配するということだ.

皆が「仕方ない.勉強するか.とりあえず先生の言うことをキクか」という空気を,最初の5分で作り上げることができれば,その授業は上手くいく.

いわゆる授業の流れができる.

つまり,受講生の心をつかむ,支配していると思っていたが,実は「空気」を支配しようとしていたことに気づく.



空気を支配するということは大変なことだ.

当然,人によって,状況によってやり方は千差万別だ.

例えば授業や講義,練習会を行う場合,まず初めに相手は肩書きを目にする.そして現実の講師を目にする.この段階で,すでに相手に与える印象というものは「ある程度」は制限がかかる.若々しい女性,体格の良い男性....

そして,こうした見た目に対し,受講生は「やさしそう」とか「威圧的」とかいう感情を抱く.

その感情が,なんとなしに受講生側の空気を作り出し,その空気を次なる言動でどのように変化させるかが「つかみの5分」ということだ.



さて,これから3年のゼミだ.

すでに既知の間柄であるゼミ生との間に,どうやって緊張感のある空気をつくりあげるか.

すこし身なりを整えてゼミに臨もうか.