オーバークオリティの功罪

海外の空港を利用して,そのあとに日本の空港を利用するときにいつも感じること.

たとえば,チェックインカウンター.


もし,日本のグランドスタッフ,受付のお兄さんやお姉さんが「少しでもしかめっ面」をしていたら,周囲のお客さんからは「あの人,なんで機嫌悪いの? 接客業なんだから,アレはダメだよね」という印象を受けたり,場合によってはクレームの対象になる(実際にそういう時もあるそうです)かもしれない.


また,チェックインで並んでいると「○○時○○の飛行機にお乗りのお客様,いらっしゃいませんか?」 このままでは乗り遅れる危険性があるお客さんに対して「絶対に遅刻させません!」とばかりに,お客の手荷物すらグランドスタッフが運ぶ始末.しかも,お客が「スイマセン」と謝っても「とんでもございません.間に合いそうで良かったです.ご利用ありがとうございます」と満面の笑み.



ここで言いたいのは「おもてなしの心」が素晴らしいということではない.

ある意味,逆.



ここまでのサービスになれてしまうと,たとえば「遅刻なんか自分の責任! あんたが悪い!」というような態度に対して,つい責任転嫁してしまうような気持ちになりかねない.

問答無用に定時でバシっと閉まるゲートに対して「こっちは金払ってんだぞ! 遅刻しそうなら呼び出しくらいせんか!」とね.



たとえば,世界大会に出場する.審判や競技役員の対応,ボランティアスタッフの態度,仕事ぶり.

日常からあまりにもクオリティの高い世界で暮らしていると,そうでない場所に放り出されると,当然戸惑いが生じる.「自分のことは自分で責任をもつ」という極めて当たり前のことすらできなくなる.

逆に,日常的に劣悪(?)な環境で頑張っている人たちからすれば,そうした国際大会は「なんて親切なんだろう.競技場にトイレがある!!」「なんて安全な国なんだ.観客に拳銃を持っていそうな人がいない!」ということも.



オーバークオリティを否定するわけじゃない.ただ,それに甘え過ぎている,甘えて当たり前の環境に我々は慣れ親しんでいるのだなと感じた次第.