本を読むということは著者の人生を手にするということ
MNBの父は大変な読書家だ.
それに対する反抗の気持ちがあったのかもしれないが,MNBは大学卒業までほとんど本らしいものを読破したことがなかった.
せいぜい読書感想文などの課題程度.
おそらく,それまでは自分と等質,同質の集団,コミュニティのみで生活していたため,実体験があればなんとかなっていた.
それなりに面白い考えや会話ができた.
けれども,大学院に進学し,自分とは経歴の異なる集団,自分のコミュニティについて批判的な集団,異なる意見を前面に押し出してくる人たちと会話をしたり,仕事をしたり,時には説得を試みたりするようになると,自分が経験してきたことだけでは,それまでの知ではまったく追いつかないことを知り,それを解決してくれる一つのツールが「本」であることを知った.
そこからは,「ある程度」に様々な本を読むようになった.
国家論的な,包括的な本を読みこなせるまでには至ってないが,その時々の事象に関したものや,近視眼的なものの見方に関するものに始まり,自己啓発書,ビジネス本,様々な分野でスタンダードと呼ばれる本や,ベストセラーなど.
「本を読むこと」というのは,その本を書いた「著者の人生の一部を手に入れること」であることに気づいてからは,なおさらだ.
読書の秋.
秋の夜長には他人の人生にちょっと触れてみるのもよいのではないか.