目標に縛られない

目標を持ちなさいと,多くの指導者は常日頃から言う.

かくいう私もそうだ.

陸上競技の結果は,数字で表されるため,数値目標を定め,どのようにすれば到達するかを考えるのはごく自然なこと.



けれども,それだけではキツイ場合もある.

いや,むしろ多くの人生は「それほど明確な目標を定めず」に進んでいるのではないだろうか.

かくいうMNB自身,大きな目標にとらわれ過ぎずに「出来ることを最大限やる」という日々を過ごしている.

勘違いしてほしくないのは,目標を一切立てないということではない.

人生をマクロに捉えたとき,具体的な数値目標は設定しないということだ.

例えば「年収○○○○円を達成するためには,今月は○○○円を稼ぎ出す必要がある!」というものではなく,「今月は一所懸命頑張ったから○○○円を達成した.この調子だと年収○○○○円に到達できるかな?ワクワク」というもの.



情報が氾濫し,自分が置かれている状況が解りやすく,一方でわかりにくい現代社会.

自分は頑張っているのだろうか? 高い評価を受けているのだろうかと心配してしまう.

そんな時にはこうした考え方も必要じゃないだろうか?

日々の生活でジコマンを得ること.それは日々,最大限頑張ってきたという自己評価で良い.



日々の生活は「ある程度の中間目標」にその矛先が向いていれば良いのではないかということだ.

自分の子供がすくすくと育って,学業もスポーツもそれなりに頑張って,幸せな人生を送って欲しい.

ということを「有名○○○小学校に入学し,○○○中学からエスカレーター式に○○○高校へ」と定めてしまうと,やっぱり窮屈になる.

もちろん,それが大きなパワーを発揮することもあるから,否定はしない.



MNBが言いたいのは,

例えばアスリートが勝利のために様々なものを犠牲にしていく.

食べたいものを我慢し,節制し,全てを競技力向上に向ける.

という考えだけではなく,日々,競技力向上へむけた最大限の努力をしてみる.

結果,「俺って強くなってるだろうな」とワクワクする.

生活内容は同じでも,到達する結果は同じでも,日々のワクワク感や,充実感が異なる.という考え方もあるよということ.



もし,いま明確な目標が無く,それを嘆くのであれば,まずは今できることを全力で頑張ってみようじゃないか.

ケセラセラ