2014 インターハイ終了

インターハイに参加する,連れて行く人数を確認し,宿舎を手配し,バスを運転し,日々スケジューリングに明け暮れ,勝負の場で一緒に戦う.

笑って終われるのは一握り.そのほとんどは「また」悔しさと反省が入り交じった車内を過ごしながら母校へと帰る.

そして,全力で戦った夏の思い出にひたることすら許されずに,残酷なほど,あたりまえのように日常が始まる.


疲れ果てたある人は,もう無理だと言う.
どうしても勝ちたかった人は言う.どうか次は勝てますように.


ぞんだ現実が手に入ることは希だ.

イレギュラーな苦労は当たり前だ.

そうした日々を過ごすなかで強さを身につけ,うまさを身につけてきた.

たった1度の,たった1年の負けで,まるでこれまでの全てを否定されるかのような罵声を,非難をあびることもある.


勝てば官軍.ならば得たものはなにか?

負けて失うものは? 得たものは? ごまかしたものは? 受け止め切れなかったものは?

いつしか自分が疲れ切っても,代わりはいくらでもいると言われる.


それでも戦い続けることが人生と定め,生徒の笑顔のために,希望のために,そして見えない勝利のために,また明日からグラウンドに足を向ける.


インターハイで奮闘されている高校の先生方,選手とともに涙を流しているのをみて,MNB自身も感動してしまった.


選手にとってはたった一度の晴れの舞台.人生で一度の勝負の時.それがインターハイ

でも,顧問の先生からすると,毎年,手塩にかけた教え子,息子,娘が全てをかけて戦うインターハイ.それが毎年訪れる.

選手のように,自分がもっている競技力をただぶつけるだけでは許されない.選手の親御さんとの関係,先でも述べた様々な準備,そしてそれをうまくマネジメントする能力.本当に,途方もないほどの労力が求められる.

そして,それらはあくまで「課外」活動であり,その先生方の本来の仕事は「授業」であり「会議」であり「事務作業」である.超人的な能力でそれらを裁き,課外活動に全力を投入できる準備ができても,その報酬は無きに等しい.あるとすれば,生徒の笑顔,保護者からの感謝,そして一時の満足感.そしてそれあら全ては感情に訴えかけられるものであり,けっして現実の生活を直接的に支えてくれるものではない.


ひょっとしたら,高校の先生がたは自分の選手を大学なんかに行かせたくないのかもしれない.
インターハイなんか終わらなかったらよかったのかもしれない.
今の,この関係が,この高揚感がもっともっと続けばと思っているのかもしれない.

でも,現実にはそうはいかない.

なればこそ,次なるステージで,願わくばさらなる大きなものをつかんでほしいと思って,手塩にかけた生徒達を送り出すのだと思う.


3年間,6年間かけて築いてきたうれしさ,くやしさ,そうした諸々を,たとえ全てではなくても受け継いで,そして,次の4年間を大いなる時間とするために我々は存在する.



山梨では,本当に多くの先生方,選手とお話をさせていただいた.

先生方が手塩にかけて育ててきた3年間.
その物語の続きとなる4年間を引き継ぎます.

5日間,ありがとうございました.

そして,本当にお疲れ様でした.