アジリティとは単独で発揮されるものではない
アジリティというと敏捷性や機敏さなどの日本語があがる.
では,アジリティを構成するものはなにか.
つまり,敏捷に動くことの前提条件はなにか.
おもに地上での話となるので,言うまでも無くサーフェスとの摩擦関係,素早い動きそのものを生み出す筋パワー,より効果的に方向を転換するための関節もしくは各パーツのポジショニング....
これらが高い水準にあれば,高度なアジリティを発揮できる...かというと,じつはもう一つの前提条件が必要であることが解る.
それが判断力だ.
そして判断するために必要なのが情報を察知する能力である.
サッカー関係者でもないのに,これからの日本サッカーが進化するためには何が必要な,なぜか考えていたところ,この「情報を察知する能力...からの判断力」が必要ではないかという結論に至った.
じつは,上記の説明はオムニバス形式で私が担当している授業で述べていること.
アジリティという能力をいくら高めても,それを発揮できる状況を作る能力がなければ意味が無い.
どんなに鋭く方向転換できても,それが意味のあるプレーとして成立する条件をつくらなければ無用の長物となる.
球技系のトップ選手には俯瞰的にフィールドをみる(感じる)能力が高い選手が多いときく.
その俯瞰視の精度が高く,かつそこから次の動きを予測する能力が高ければ,お互いのアジリティを発揮する場面を作り出すことができる.
けれども,そうした能力がなければ,高いアジリティをもったチームメイト同士での有機的なプレーを作り出すことができない.
いくら筋力があっても,速く動かせないならば,速く走ることには繋がらない.
なんでも一緒だ.
長所を磨いても,その長所が発揮できる状況を作り出さなければ意味がないんだ.