プレディクトをコントロールすることは出来ない
小学生の身長を予測することは簡単.でもコントロールすることは困難.
次の数学テストの成績を予測することは簡単ではない,でもコントロール(勉強するorしない)することは簡単.
いわゆるプレディクトをコントロールしようとするかどうかということ.
サッカーW杯.日本代表がグループリーグで敗退したことに対していろいろなところで炎上してますね.
結果を予想することは「困難」なはず,いや,むしろ格上の強豪国を打ち破って決勝トーナメントへと進出することは困難であると予想するのが一般的かなと.
※2014年6月時点でのFIFAランキング コロンビア:8位,ギリシャ:12位,コートジボワール:23位,日本:47位
けれども,その予想をコントロールして「決勝トーナメントに行くことが前提」という予想を作り上げてしまった.
そのことに対する反省や憤り,押し通したい気持ちなど,様々な理由で様々な記事が書かれている.
と感じています. でも,それ以上に大切なのは,勝利を信じて戦ってきた選手達がそこにいて,少なくともW杯直前までは夢を見させてくれたということ.
生活に彩りを与えてくれたということ.
それがスポーツの素晴らしさであり,文化的な生活を送るということだと思う.
プレディクトをコントロールすることは出来ないということを知った上で,自分で予想し,楽しみ,全力で戦った選手達を励まし,時には慰める.
熱い気持ちがほとばしりすぎて,敗北したことが残念すぎて選手に罵声を浴びせてしまうこともあるかもしれない.
けれども,ほとぼりが冷めたら,やっぱりサッカーが好きだから応援しにいく.
それがスポーツの素晴らしさ.
しかし「自分がコントロールした予想に反した結果に陥ってしまい,それでも自分のプライドを護るために敗北した理由を探し,選手達に反省を強いる」というのは少々違う気がしますね.
W杯に関する記事を見ていて感じたことです.