一時的な感情による書き込み ハイリスクノーリターン

Facebook, mixi, Twitter, LINE

SNSの功罪を巡る論議は社会現象にまでなっている.

いわゆるイジメに繋がる使用方法,既読機能への対処の仕方,悪質な書き込み,コメントに対する方法.


いつからか,我々が現実に生活を営む現実世界に対し,ネット社会,バーチャルな世界,オフ界というようなまるで「現実」とは異なる「非現実的」な社会がそこにあると表現されるようになった(MNB個人的には現実社会となんら変わりない部分が少なく無いとは思っているが).

その大きな違いは「匿名性」と「気軽さ」だろうか.



まあ,匿名性が高いとはしても,基本的に仲間内で情報を共有しあうわけだから,実際に我々が関わっている範囲では匿名性はそれほど高くはないのではないか.

問題だと考えるのは「気軽さ」である.



自分の周りに起きていること,というよりも,今の自分の心境を気軽にネットで公表することの危険性を理解できていない者は多い.

なぜ,この「気軽に自分の気持ちを掲載する」のが問題なのか.

それは人間の気持ちというものは,大変にうつろいやすいものだからだ.



さっきまで「信号機は赤・黄・青だ」と考えていたのに,本やニュース,知人との会話などにより「やっぱり緑じゃね?」となり,でも周囲の状況を考えた結果,「青にしておこう」という気持ちになる.

こうした気持ちのゆらぎや,うつろいの過程において「自分は信号機は緑だと思います!」と表現することにどれだけの意味と必要性があるのだろうか.



MNBだって人間だ.

仕事がいやになることもあるだろうし,何もかも手放して逃げたくなるときもあるだろう.

反対に「なんて素晴らしい仕事をさせてもらっているんだ」と感動したくなるときもあるし,「何があっても食らいつくぞ!」という気持ちになることもある.



こうした気持ちを書き込むことが,MNBにとってはどれだけ必要・意味のないことか.

そして,その反面,MNBをとりまく人々に対してどれだけ大きな影響を与えることか.

もはや「意味がない」を通り越して,自分自身に対するローリスクローリターン,ハイリスクハイリターンを越えたハイリスクノーリターンになりかねない.

だからこそ,我々はある程度大人になって,社会的立場やイメージが付随するようになると,こうした気軽な思いつき,言動を公表するべきではないと感じるようになる.



もちろん,その裏に何かしらの理由,目的があるのならば良いが,それでも自分にとって「ハイリスク」となる要因があることは理解しておくべきだろう.

すくなくとも,その一時的な感情による書き込みによって「自分をとりまくプラスとマイナスがひっくり返る」可能性があること位は想像すべきだ.



かくいうMNBも数え切れないほどの反省がある.猛省だ.

そして,それは他者から言われない限り気づかないものだと思う.

経験こそが得難く,大切にするべきものだ.