博士論文執筆時代

日記を書こうとおもったのだけど,時間的,文字的制限が加わったなかで一気に書くのも面白いかと思い,つぶやいてみた.

Twitterに連続投稿したものを並べます.


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卒論,修論.考え,考え抜き,考えることに疲れ,もうダメだ.これでいいやと思った時にサムシンググレイトが降りてきた.でも博論は違った.サムシンググレイトを「降ろせる」ことができなければ書ききれなかった.数え切れないほどの皆さんの助けも含めての話だ.頭の中は無限.時間は有限.


大学に入学してから最初に手直しを受けた文章は「トレーナー委員」としての発表資料だった.頑張って,一生懸命書いて,あとは発表だけだと思っていたら,真っ赤っかになって資料(レジメ)が帰ってきた(笑  「てにをは」ではなく,自分の文章を読み直すことの重要性を教わった.


指導教官(当時も今も兄貴分)から直された文章と,自分が書いた文章を見比べて,恥ずかしさのあまり涙が出てきた.悔しさと,恥ずかしさと,無力さを感じた.初めて自分の能力を恥じた瞬間でもあった.努力の仕方がわからないまま,「俺ってすごいだろ!」と.大山のアニキ.お手数おかけしました.


その後,トレーナー委員長となって,様々な文章の修正,指摘,校正を受けた.赤字の修正が少なくなることにうれしさを覚えた.まだまだ未熟なはずなのに,「オレはアニキにさえ指摘されることが減ったんだ」と恥ずかしい自信だけが大きくなった.


セカンドインパクトは卒論だった.これまでの文章や言い回し,言動では指摘を受けなかったのに,アニキは卒論になったとたんに厳しくなった.これが論文かと感じた.自然と背筋が伸びた.


一番学んだのは「流れ」だった.えてして,文章を書き慣れていない人間は,まるで会話のように,間をはしょってしまう.センテンスとセンテンスの間が遠い.意味も,表現も遠い.離れている.


流れの重要性を知り,日本語の難しさを知り,トレーニングを重ね,自分でもいっぱしの文章を書けるようになったと思った.でもマダマダだった.ここまで来て,ようやく「内容」についてアニキや指導教官から指摘をしてもらえるようになった.


文書として読んでもらえるようになった分,内容を吟味してもらえるようになった.とたんに,その荒さ,浅さが明らかになってきた.部屋が綺麗になると,少しでも汚れた部分が目立ち出すという意味を知った.


そこから苦しんだ.考えても考えても,アニキや指導教官を上回る文章が書けない.弟子が師匠を超えない限り,優れた師匠とはよばれない.そんな話をしてもらったとき,俺は「なんて出来損ないの弟子なんだ」と嘆いた.


必死に文章を書いて3年.指導教官からはじめて「秀作」の二文字を頂いた.筑波大学大学院の博士課程.最短修了は5年.間に合った.博士論文という自分の分身にも近い,文字通り血を,涙を,汗を吸って仕上げた文章を初めて誉められた.5年かかって1回誉められた.


5年かかって1回誉められた文章.今は見たくない.見るのが恥ずかしい.あの程度で誉めてくれたのは「そろそろ一回は誉めないといけないかな」という恩師の愛情があってこそのことだとわかった.


多分,MNBのように未熟な博士論文で学位を取得してしまったものは,自分の過去を見るのは凄くいやなことだと思う.研究室にひっそりとたたずむ博士論文は,ある意味「戒め」のようなものであり,「そんな簡単に皆を納得させられると思うな」というメッセージを常に発している.


リクマガの原稿を始め,様々な原稿を書きながら手詰まったときに必ず博士論文のタイトルを見なす.甘えるなと叱咤激励する.俺はマダマダだ.出来たと,上手くいったと思った時こそが「イマイチ」だ.そう思い続けられるように一所懸命努力しよう.努力も悪くないと思えるように.





...って読み直したらやっぱり誤字脱字.やっぱりマダマダだ(笑