目標というものは,もっと抽象的でも良いと思う.

目標に向かって走ることは素晴らしい.

人生におけるあらゆる場面で推奨され,あたかもそれが「人生の宝」のような表現をされる.

もちろん,それはいいことだと思うし,あなたがその最中ならば最高に幸せだろう.

けれども,人間ってそんなに簡単じゃない.



目標が曖昧でも,走り続けることができる人間もいる.

「目標に向かって」ではなく「何かに追われて」走り続ける人間もいる.

その「何か」はわからない.というより,そもそも走ることがデフォルトとなっている人間にとっては,歩くこと,止まること自体が「あってはならないこと」だから,進行方向への速度が低下するだけで不安になる.


速度が落ちかけたとき,ふと「目標」について考えるけど,言葉でうまく説明できなかったりすると,さらに不安になる.

自分は何をしているのだろう,何のために頑張っているのだろうと,せっかく走り続けてきた勢いを自分でとめてしまうこともある.



目標というものは,もっと抽象的でも良いと思う.

ドラゴンボールのように「俺より強いやつに会いに行く」みたいな(笑



走り続けることでみえてくる景色もあるし,何はなくとも走らなければ届かない場所もある.

人間は不思議だ.

そんな曖昧なもののためでも,今日も走り続けられるのだから.