「語る夢」その先にあるもの
保健体育の教員になりたいと言う.
まあ,言うのは簡単だし,体育大学志望の高校生なんかは結構な確率で「将来の夢」として話してくれるかもしれない.
インカレチャンピオンになりたいと言う.
こちらも,やっぱり競技者をしている高校生→大学生までの過程ならば,結構耳にする言葉だ.
でも,その言葉の先には何がある?
そこが重要だ.
チャンピオンになってどうするの?
そう訊かれて,すぐに答えがだせるか.そうでなければ,チャンピオンになること自体はあまり意味がないんじゃないの?
大切なのは「どういうチャンピオンになるか」だったり,「どうやってチャンピオンになるか」じゃないのか?
ただひたすらガムシャラに頑張って,いや,コーチや監督の言いなりになって気づいたらチャンピオンになっていた.それじゃあ,次の人生にチャンピオンになった過程を活かせないんじゃないか?
多分,日本っていう国はチャンピオンになった瞬間に何かが変わるってことはあまり無いと思う.
チャンピオンになる過程に手に入れた副産物,それがスポットを浴びるようになって,大きな価値が生まれるんじゃないかな.
アスレチックトレーナーになりたい!
そんな思いだけでATの試験は合格できないんじゃないかな.
MNBは試験というものは頑張って合格するためにあるものではなく,文字通りその資格があるかどうか試されるものだと思っている.
だから,ATになりたい! という気持ちだけで,ただひたすら頑張って合格するのって,すごく大変だろうなと. そういう思いだけで合格するまでの勉強を続けるのはしんどいんじゃねーかな. そうじゃなくて「〜〜〜のようなトレーナーに成りたい!」って理想があるからこそ,試験を突破できるんじゃないかな.
教員採用試験も一緒だよ.
採用されたい! って思いを抱くのはあたりまえだけど,その先にある何かを見据えることが一番重要じゃないの?
どんな先生になって,どんな事を達成して,どんな学生を育成したいのか.
先生を目指すってそこだろ?
夢を語るのは大いに結構.
でもその夢は言葉ではなく,その先にあるものを見据えたものかどうか.
それが重要だ.