MNB先生のゼミは厳しいから
朝,大学に来ると一人の学生(2年生)が待ち伏せしていた.
「先生,お願いがあります」
どうやら,既に申請期間が終了したゼミの選択について再考し,MNBのゼミを受講したいと考え直したようだ.
なぜ,最初からMNBのゼミを選ばなかったのか? と聞いたところ,「MNB先生のゼミは厳しいから,自分ではついていけないと思ってやめていたんです.でも,正月にMNBゼミのOBから話しをきいて,やっぱりこのゼミにしようと...」
年始早々,朝から待ち伏せしているのがいいじゃないか.
いつ来るか分からない先生を待つ.そんな決意に感動し,快諾した.
ただ,気になったのは「厳しいから」という言葉.
おそらく,陸上部の1-2年生全体にそのように伝わっているのだろう.
別にかまわない.でもな,ちょっと考えてくれ.
君たちが一生懸命頑張ってきた,頑張っている陸上競技.
例えば関カレに代表選手として出場する.インカレチャンピオンになる.
それはそれで素晴らしいよ.一生の宝物になるだろうよ.
でも,そうした競技成績とは,その時で終わり.重要なのは「どういったチャンピオンになったか」じゃないか?
インカレチャンピオンになって,日本一になって,でも社会にでたら「アイツ,大学の時に陸上かなんかで日本一だったらしいぜ? 確かに体格はいいけど,あの程度の奴が日本一になれるなんて,陸上の世界も大したことねーな」なんて思われている人間,たくさん居るんじゃないか?
たとえ周囲からそう声が聞こえなくたって,自分自身でそう感じてしまう時ってあるんじゃないか?
それじゃあ悲しいよな.
自分が大学4年間かけて,いや場合によっては高校3年間,中学3年間をかけて,必死にとりくんできた陸上競技で得られたのがメダルやトロフィーだけだっていうのは寂しくないか?
MNBは教え子にそんな思いはさせたくない.
陸上競技で武大の代表になるならば,社会に出ても「やっぱり大学の代表になるくらいの奴は違うな」と思わせたい.
インカレチャンピオンならば,「アイツ,絶対に大学時代も名の売れた選手だったはずだ.だって仕事ぶりがハンパじゃないもん」と言わせたい.
MNBのゼミはそんな人材をつくりたい.だからプレゼンの方法を指導する.
もちろん厳しい.
だってそうだろう? 君たちが必死に取り組んできた陸上競技を,次のステップに活かすためのトレーニングだ.君たちが必死に培ってきたものを活かすため,こちらも必死になる.厳しくない指導なんてMNBには出来ない.
今年も厳しくいく.ビシバシだぜ.