簡単にイジメる方法と,それを回避する技術

大津の中学生自殺をキッカケに,イジメが様々なメディアで取り上げられている.


人間が多数集まると,意見や考え方も多岐にわたる.

未成熟な精神しか有していない子供達が集まると,自然にイジメが発生する.

どこからどこまでがイジメか判断するのは大変困難であることを承知の上で書くと,イジメそのものをなくすのは不可能に近いと思う.



かくゆうMNBもイジメにあった(イジメだと思っていた出来事にあった)ことがあるし,ひょっとしたら自分が気づいていないだけで,イジメる側についていたこともあるかもしれない.妻も同様だと語ってくれた.

これは決して子供に限った話ではない.



大人になれば,「表だったイジメは悪いイメージを与える」という考えや,罪悪感から,意識的にイジメを潜在化させることを学び,その手法はより表に出にくい,陰湿な形になる.

主婦同士の近所づきあいや,自治会などのコミュニティにおいて見られる陰湿なイジメは,ドラマなどでも表現されることが多い.



では,我々,現場の教育者はどうするべきか.

あまりに単純な答えかもしれないが,やはり「精神的強さ」を身につけさせることであり,「イジメをしない」「イジメられない」技術を教えることだろう.

それは挨拶であったり,ダメなものはダメだとルールを厳守することの重要性だったり,協調性やコミュニケーション能力であったり.



面と向かって悪口をいってケンカするのは大変な勇気がいる.

MNBの子供時代は携帯電話なんてなかったから,イジメる側もある程度「勇気」が必要だっただろうし,イジメられる側も面と向かってイジメられる時以外の時間に,回復をはかることができた.

そうしたバランスがあったからこそ,極端にイジメが進むことも,自殺に至るほど心を追い込まれることも少なかったのかもしれないと考える.



でも,今は違う.ネット上で,ゲーム上で,メールで,本当に簡単に悪口を言える.

面と向かっている時以外も,精神的苦痛を与えることも,イジメることもできる.

より簡単にイジメることが出来るようになり,イジメられる側の精神が回復する余裕が無くなっている.



携帯電話を持たない.ネットをみない.

これはイジメを回避する技術の一つかもしれない.



匿名の書き込みなんかに心を左右されない.

これもイジメから精神を守る技術の一つかもしれない.



イジメる方法が簡単になってきた現代だからこそ,イジメを苦ともしない精神力,イジメを回避する,悪化をさせない技術,知識,考え方を教える必要がでてきたのではないだろうか.

子供だけでない.我々大人もだ.