SNS 自分の行動が他者にどのような影響を与えるか

ブログやSNSの爆発的な普及の一方で,その危険性を学生に注意喚起する機会が少ないのは大変な問題である.

Twitterによって自分の居場所を知らせたり,自分の考えを述べたりしている人たちは,一体何を目的に書き込んでいるのか.

情報提供,備忘録,双方向のコミュニケーション,自己満足,,,,目的は様々なだが,重要なのは「利用している気持ち」があるかどうかだと思う.

しっかりとした目的があれば,これらは強力なツールとなるだろうし,利用価値は大いにある.もちろん「利用している」のだから,それ相応のリスクがあることも承知だろう.



その一方で,「なんとなく」自分の周りに起きたことや考えを書いている学生を見かけるが,一度発信されたものは取り消せないくらいの覚悟はもっておいたほうが良い.

また,自分の意見に対して思わぬ所から批判,非難がわき起こる可能性もあるということも認識するべきだ.
(当然,その批判に耐える精神力,手段を持たなければ,SNSなんぞやらないほうがいい.)



以前,ホームレスの人間に生卵をぶつけるという動画をmixiにアップロードした大学生がよい例である.

どうやら自作自演であり,おもしろ半分で撮影したようだが,社会,そして自分自身の現実生活に与えた影響は極めて大きいものとなった.

検索エンジンにて「大学生 mixi 生卵」と入力すれば,いくらでも記事は出てくる.

また,ほんの先ほどだが,こんなバカげたこともニュースに出ていた.

こうした事例をキッカケに,TwittermixiFacebookに書き込む場合,その書き込みによって発生するリスクについて少しは考えておく必要があるだろう.



学生が夜中まで騒ぎ,盛り上がった結果,その内容をFacebookに掲載する.

先輩や後輩に対する愚痴,非難,批判をTwitterでつぶやき,同期の仲間と共有する.

首都高速で爆走し,スピードメーターと共に動画をアップする.


これらは果たして必要なことなのだろうか?

必要性が無い,低いにも関わらず,こんなリスクの高い行為を実施する意味が分からない.

しかし,こんなリスクの高いことを,その場のノリで平気にアップする学生が後を絶たないのは事実だ.



「自分は指定した人間しかみれないようにしているから大丈夫」

一体何をいっているのか.

やりとりをしている相手がたった一人でみているという補償はどこある?

頼りにしているのはハンドルネームだけで,その人物が入れ替わっている可能性は?

友達のふりをして中に入り込むことは簡単だ.



また,この日記にも匿名で無責任なコメントする輩がたまにいるが,おおよその居場所は確定出来ることも知ってのことか?

書いてある内容,居場所情報などから,個人を特定することはそれほど難しくないことくらいは知っておくべきだ.



Facebookも同様.

震災などの時に「身元不明の知り合いを捜すことができた」という記事がもてはやされたことがあるが,それは裏を返すと「あえて関わり合いたくない過去を掘り起こされる」ということでもある.

進学したり,就職したり,転職したりすることで新しい生活をスタートしたにもかかわらず,Facebookによって突然「そのままにしておきたい過去」が目の前に舞い降りることは珍しくない.

もちろん,その反対だってある.懐かしさと共にやってくる過去だってあるだろう.



また,全く知らない人間から「友達申請」がくることも少なくない.

一度,有名(友達が多い)な人物と友達になってしまえば,孫引き状態でいくらでもさらに有名な人を探すことが可能だ.

以前,とあるオリンピアンが,FacebookTwitterを通して競技を始めたばかりの高校生から大変失礼(に感じる)な質問を受けたことを相談されたことがある.



勘違いしないでほしい.
SNSを批判しようとしているわけでなく,ツールとしてどう使いたいのか良く考えてほしいというということだ.

素晴らしい料理を作り出す包丁は,使い方次第では凶器にもなる.

大切なのはSNSを何のために,どうやって使うのかということ.「自分の行動が他者にどのような影響を与えるのか」を考える良い機会になるのではないか.

学生諸君に再考を希望する.






と,いいつつ宣伝.

NHKの「らじお朝いちばん」に出演します.

時間は5時台のどこか(笑

16日から20日までのシリーズ編で,ジョギングと健康というテーマで,キャスターの鹿野さんとやりとりします.

あ,生放送じゃないからね.