敢えて教えないという教え方

敢えて教えないという教え方がある.

あそこはこうしたほうが良いハズ...という確信を持っているが,あえて教えない,
言わない.


例えば選手が流れにのっている時.

もっと良くしたくてアドバイスしようと思うけど,流れを切りたくないからそっとしておく.


例えば頑固な選手(というよりも頑固になる条件がそろっている時の選手).

何を言ってもただ頷くだけで,本心には届いていない可能性が高い.意味がないからやめておく.


自分が解っていないとき.

何となくこうしたほうが良さそうだというイメージはあるが,選手のほうがそれを上回っていることが感じられるから,選手がんばれ! という目線で何もしない(できない)時.


いろいろな時や条件があるだろうけど,この「敢えて教えない・言わない」の見極めは指導者として,人間として非常に重要だと思う.


我々指導者は,先生という立場にいるだけで,自分の言うことを学生は無条件できいてくれるという勘違いをしてしまうことが多い.

そして選手が結果を出したのは「自分が指導したおかげだ」と感じたい.

自分の言ったとおりにやったから,選手が結果を出した...

それは素晴らしい指導者だ.凄い指導かもしれない.


でも,そうした自信がないときや,その必要が無いときは敢えて何も言わないほうが良い.あとで後悔することになる.


逆に選手が調子いいときに限って,得意げに指導する指導者も少なくないと思う.

強い選手に対して指導するフリをするのは簡単だ.そして,それは時に快感にもかわる.周りの目は「あの強い選手を指導できている」と映るから.

ハンマー投げの関東学生記録保持者であるENDコーチに,ハンマー投げの技術についてあーだこーだ言うのは簡単だ.そしてENDはそれを快くきいてくれるだろう.

でも,それは大変に危険だ.だってMNBはハンマー投げについて詳しくない.やったことはあるけど,あれほどのレベルにある選手に対して,具体的な技術指導はできないのが本音だ.

だからENDコーチには「どこがどうなってるか客観的に言う」ことしかしない.

身体を強くする方法や,キレを増す方法などは教え,実践させる.しかし技術は別次元だ.


勘違いしないで欲しいのは「教えることができる状態にあるのに教えない」ということ.つまり常に見てはいるということ.

グラウンドにも来ない指導者には使うことができない言葉のはずだ.



大切なのは「選手が幸せになること」だ.

自分で何かを気づき,築いたならば,それは大変な自信になる.大いなる財産だ.

そして,そんな選手になってほしい.だから敢えて教えない....ことがあるんだよ.