強いが主体性の無い選手 vs 主体性はあるが弱い選手
かつてIWKB顧問からはアスリートファーストという教えを頂きました.
これには選手が主体,選手のために,主体性ある選手と,様々な意味を含んでいると思いますが,MNBが非常に気に入っている言葉です.
さて,主体性を育てるにはどうしたら良いか.
いや,そもそも主体性は必要なのか?
強いが主体性の無い選手 vs 主体性はあるが弱い選手
あなたはどちらが良いか.
この議論は大変に面白いものかと.
過去に接したことがある日本代表クラスの選手のなかには,海外でのウォーミングアップさえ,コーチに連絡をしてから決めている選手がいました.
もちろんコーチは日本にいます.
つまり,その選手にとっての主体性とは「コーチの指示に従うこと」というワケです.
選手を強くするのが非常に得意なコーチだからこそ,生じている現象でしょうか.
選手からすると「コーチの指示に従うこと=最も強くなれる方法=最高!ハッピー!」でしょう.
その選手が現役を退いた時に,競技者としての経験が次に活かされるのかどうかはわかりません.
自分に絶対の自信を持ち,自分の指導法に心酔したいコーチからすると,自分の指示どおりしか動かない選手は最高でしょう.いつしか自分のコマのように感じるようになり,選手の出した結果=自分の出した結果という気持ちが強くなるでしょうね.
勘違いしないでください.
ここで書いた選手のコーチについて言っているわけでもなく,それが悪いと非難しているわけでもありません.
選手だって強くなりたい.過程がどうであれ,強くなれるに越したことはないでしょう.
むしろ,コーチに従っているのに強くなれない. そんなコーチは失格でしょうし,そうしたコーチの表面だけの結果をみて批判する者の多くは「主体性も無く競技力も無い選手」しか育成できていないことがあります.つまり嫉妬.
ただ,陸上競技が強くなること,上手くなることだけが目標ならば,それでも良いでしょう.プロスポーツ選手などはそうでしょうか.
しかし「陸上競技を通して」という概念からすると,そうはいきません.
これは選手自身も同様です.競技を通して自己実現を目指す.お気に入りのジャージを着て,自分で選んだシューズを履く.格好いいと思うからアクセサリーをつける.強くなるためにというわけではなく,どちらかというと「自分を表現したいから」という気持ちがあるかと.
そして我々指導者が「陸上競技を通して」学生を教育する.という気持ちがあるならば,やはり陸上競技を通して主体性を身につけてほしいと思うのは自然なことかと思います.
特に日本ではプロコーチという立場で,コーチングだけを生業にしている人は非常に少なく,学校体育・学校教育と陸上競技が密接に関係しているため,多くのコーチは学校の先生であり,教育者であるという現実がそうさせている部分も強いと思います.
これについては良い部分,悪い部分様々でしょうが,ここで述べてしまうと日記が終わらないのでやめておきます.
コーチを利用するのも,コーチに従うのも「自分の意志で決めた」ことであってほしいというのが私の考えです.
先生だから盲目的に従うのではなく,先生という対象を,コーチという対象をよく見極める努力をしながら利用する.そうあって欲しいですね.
そして我々指導者は,自分自身の思いや信念を大切にしながらも,選手から常に評価されているという緊張感も持ち,努力を続けるべきだと考えます.
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こうした内容を書くと,「そんなこと言ったってコーチに逆らえるわけないじゃん!」っていう選手も出てきそうですね.でももちょっと待ってください.逆らうという考えを持つ前に,十分に相手のことを理解していますか?
相手のことを理解しようともせずに,勝手に決めつけてませんか?
キツイ練習ばかり課す理由を質問していますか? 不満に思っていることをぶつけていますか?
それでも「いやだ」と思うのであれば,君の競技人生.自分にとって不利益だと思ったら方針を変えるのも必要かもしれませんが,まずはジックリ話す機会を設けるのも必要ではないですか?
まあ,お互いに言えることかもしれませんが(笑