川内選手 反省 ≒ ボウズ ≒ 誠意?

川内選手が丸刈りにしましたね.

誠意を見せるといってたので,川内選手なりの誠意の見せ方なのでしょう.

三者であるMNBがとやかく言うことはありませんが,公務員業務に支障が出ないかが心配です.


さて,丸刈りに代表されるような「誠意の見せ方」について考えてみた.


誠意を辞書でひくと「私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心(goo辞書)」とある.

コーチや監督,部活の顧問に叱られたり,大事な試合に遅刻してしまったり・・・

人間はだれしも失敗したときに,そのお詫びとして誠意を見せようとする.

が,なぜそれが丸坊主に繋がるのか.


例えば,練習に対してあまり熱心でない選手がいたとして,コーチから叱咤激励される.

部で定められている規則を破ってしまい,監督に叱られる.

そうした時に,罰として丸坊主を命じられるシーンが,かつてのスポ根マンガではよくみられた.

スラムダンク桜木花道選手も,海南戦で負けたのは自分のせいだとし,みずからボウズにしてきましたね.


頭を丸刈りにすることで得られる効果は何か.

1.自分自身への戒め.自分の一部である髪の毛を切ることにより,つねに「反省せねばならない出来事」を忘れないようにしておく.気合いをいれる.

2.他者へのアピール.自分は大切な髪の毛を切り,ヘアースタイルをボウズにするくらい反省してます.これに免じて許してください.

3.手入れ時間の削減.ボウズにすることで洗髪や,寝グセを直す時間を減らすことができる.

4.集中を阻害する要因の削除.プレー中に髪の毛や,それを伝わる汗が目に入る心配がない.競技に集中しやすくなる.

5.空気抵抗の減少.

そして6.精神的苦痛.罰として強制的にボウズにさせられた場合,恥ずかしいという精神的苦痛が与えられる.

といったところか?


さて,自分自身でボウズにする場合は,「6.精神的苦痛」はそれほど大きくないと判断し,「1.自分自身への戒め」と,「2.他者へのアピール」にフォーカスする.


確かに,「1.自分自身への戒め」という効果はあると思う.風がふくたびに,鏡をみるたびに「ああ,俺はボウズだ」と認識できるわけで,それと同時に「なぜあんな失敗をしてしまったのか・・・」と思い出すことができる.

しかし,そんなことはいうまでもなく,ボウズにしなくとも可能である.

つねに自分自身の心のなかに戒めとしての思いをもっておけばよい.むしろ,ボウズにしなければ忘れてしまうような思いなんぞ,たいしたものではない.


次に「2.他者へのアピール」.

じつは,これが最大の効果,目的,意味ではないだろうか.

自分はこれだけ反省しています.ゴメンナサイ! という精神がボウズには込められている(ファッションでボウズにしている人,規則でボウズにしている人,すいません).

とくに規則でボウズにする機会が減少している現代においては,五厘刈りというのは強烈な印象を与える.

まわりも「ああ,そんなに反省してるんだ.すごいなぁ」という気持ちになるだろう.


でもな,冷静に考えてみてくれ.

君がボウズにしたからといって,周囲に何か得があるのか?

失敗を取り戻せるのか? 取り戻しやすくなるのか?



そうでないなら,実は「あまり意味がない」んじゃあないだろうか.

「期待している人に申し訳ない」のであれば,これまで以上に努力して,勝つ準備をするしかないわけだろう.

ボウズにして注目度を浴びることで,何かしらポジティブなことが起きるのならばそれもアリだが,そんなことより自分自身がしっかりと努力する気持ちを持つことのほうが重要で,それとヘアースタイルには本来何の関係もないのではないか?

仮に,試合でコール漏れしてしまった学生が,次の日ボウズ頭で「すいません!」とあやまりにきても,MNBの心はあまり動かない.というか,いちばん辛かったのは君自身なのだろうから,「何もそんなことしなくても」と思うだろう.

反省だけならサルでもできる.

重要なのは反省した後に,どのような行動をとるのか.

反省した証拠を他人に見せることで自分自身の心をおちつかせようとしている.そんな効果もあるだろうが,やはりそれはただの「アピール」だ.

「正直に熱心に事にあたる心をもっていますよ!」とアピールするのは結構だが,自分自身が努力すればよいこと.それをいちいちアピールする必要はないのではと,感じたわけだ.


反省した後にとる行動は頭を丸めることではない.

次なる勝負の時へ向けて,再度心身を鍛えることだ.



あ,けっして川内選手のボウズを非難しているわけではないですよ.

ただ,「反省 = ボウズ =誠意」という図式にちょっと違和感を感じただけです.

川内選手,応援しています.頑張ってください.