納豆を食べるために

MNBは納豆が好きだ.

畑の肉とも称されるように栄養価が高い.しかもローカロリーだ.

アスリートは納豆を食べるべきだ.



関東では納豆はポピュラーである.

しかし,そのなかでも嫌いな人はもちろんいる.

この好き嫌いは「食べてみた結果」に生じた判断である.

関東では納豆を食べる習慣が形成されている.だから「とりあえず食べてみよう」となる.



では関西ではどうか.

今ではどうかわからないが,かつては納豆は余り食べられていなかったように思う.

納豆を食べる人は少数派で,おそらく多くの関西人は納豆を食べたことがない(と仮定する)とする.

それは,「あんな腐った豆を食べるのは気持ちが悪い」と思った結果だろう.

つまり,納豆に対する否定的なイメージによって得られる満足の方が,「納豆を食べる」という満足よりも高いのだ.

簡単に言えば,関西人は納豆を食べることに何の喜びもビジュアライズできないということになる.




妻は秋田県出身だ.

秋田では納豆に砂糖をかけて食べるらしい.

大学に入学し,関東に来て,醤油が大好きなMNBが納豆に醤油とカラシを入れて食べるのを見て驚いたという.

これも同様.

つまり,高校生までの妻は「納豆=砂糖をかけて食べる甘いおかず」という習慣があり,醤油やカラシをかけて食べるとういう行為は想像すらしたことがなかったのだ.



では,あれほど栄養価の高い納豆を食べなかった関西人が,納豆を食べる決心をしたとする.

つまり「納豆を食べない」という習慣を「納豆を食べる」という習慣に置き換える決心をしたとする.

ここで大切なのは「新しい習慣によって得られる満足が,古い習慣の満足を上回るかどうか」だ.

もし,納豆を食べることで得られる満足が,食べないことで得られる満足を大きく上回れば,もはや納豆を食べる習慣は形成されたも同然である.

しかし,納豆を「無理して食べる」という習慣であると,おそらく長続きはしない,つまり納豆を食べないという元の習慣に戻ってしまう.




そう.どうやって「納豆を食べるという習慣から得られる満足度」を高めるかが,ここでは非常に重要な意味を持つことになる.

そのためには,おそらく知識が必要だ.

納豆の何が良いのか.

納豆という食品のなかに含まれる栄養素は何か?

腐敗と発酵の違いはなにか?




こうした知識を身につけるにつれて,これまで 納豆=くさい,おしくない>栄養価が高い,おいしい という考えを逆転させることができる.

自分の身体にとって「良いことをしている」という満足感と,納豆を食べるという行為がリンクすると,不思議なことに味も変化するのだ.

そして,もはや「俺は納豆を食べる.それは健康のためだ」という自己誓約を達成することができれば,その習慣は人生において普遍のものとなる.






納豆を「早起き」に置き換えても良し,「禁煙」に置き換えても良し.

自分自身を納得させ,鼓舞し,自己誓約するために「知識」を利用しよう.



学生諸君.勉強もすてたものではないだろう?