諦めなければ夢はかなう?

11月5日の朝日新聞のコラムに「諦めなければ夢はかなう?」という記事があった.

読者アンケートをして,「はい」が54%,「いいえ」が46%という結果で,その理由や,諦めた夢,かなった夢などについて書かれている.


面白いのは「夢が若者の精神的負荷になっている」という内容.

「夢を持て」というメッセージは,今の若者にたいして精神的な負荷をあたえるだけだという.たとえば大学生に就職希望企業をきいても「わからない」が圧倒的に多い.出てきたとしても誰もが知っている飲料メーカーやスポーツメーカー.その理由には「子供のころから知っているから,味の違い,メーカーの違いがわかる」ということ.つまり唯一志望動機をかけるからだそうだ.

立派な夢がないという引け目に悩んでいる学生は少なくない.

また,読者のなかには「諦めなければ夢はかなう」というメッセージは努力や継続の大切さが訴えられているはず.しかしうわべだけのメッセージがメディアによって強調されすぎると,「いつか誰かが私の才能をみとめてくれる」という白雪姫的な願望を抱かせ続け,思春期のまま大人になれない人が増える.という意見もあっった.


先日,MNB宅に義母がきて,面白いことを言っていた.

たまたまTVでワンピースが放映されいるのを見て,「これ,私も知ってる.面白いよね.今の世の中,社会で,誰もが欲しがっているもの.信頼できる仲間や友情,自分たち自身の大いなる成長,そうしたキーワードが盛り込まれているから人気あるんだよね.」と.


ワンピースに自分たちの夢を投影する.

そんな若者達は多い.




さて,「諦めなければ夢はかなう」に対するMNBの考え.



それは「アホちゃうか?」 だ(笑

いや,ちょっとエキセントリックすぎたか.

真面目に意見するとこうだ.



そもそも「諦めなければ」というのが間違っている.

「諦めなければ」というのは,「諦める」の反意語である.

つまり,夢というのは基本的に「諦める」ものであるという前提条件がそこに存在する.それがおかしい.

さらにもう一つ納得いかないのが「かなう」だ.

一人称ではない部分に納得がいかない

自分自身の問題なのだから「かなえる」が正しい.

夢をかなえるためには,ただ「諦めなければ良い」というワケではなかろう.

必死に努力し,前を見続け,俺にできないはずはないというダンコたる決意があってこそ,かなえることができるものだ.



MNBが大学の先生になろうと思ったのは大学3年生の時だ.

俺ならなれるだろう.という軽い気持ちでスタートしたが,そこから国際武道大学に就職するまで「自信しかなかった」.

俺の能力をもってすれば,大学の先生になれないわけがない.という自信.

たったの一度も,「多分諦めなければならないだろうけど,なんとか諦めずに頑張ってみよう」などと思ったことはない.

大学の先生になるのは当たり前で,どんな先生になって,どんな学生を育てようか.

そんなことしか考えたことはない.

夢をかなえるのは決意だ.

決して「諦めなければ」ではない.




さて,皆さんはどのようにお考えだろう?