決断するには,決断を繰り返すこと

決定を下し,問題を解決する能力は,社会において常に求められる能力である



先日,大学で避難訓練があった.

多くの方が実施した経験のある訓練かと.


MNBも大学教員になってから,いや正確には他の大学に助手として勤めていたころ経験した.

しかし,それは純粋に「ただ中庭に避難する」というだけのものだった.

傷病者への対応などのシミュレートは行われない,いわざおざなりなものだった.



しかし武大の避難訓練は違った.

まず,職員全員が参加し,さらに具体的な傷病者役まで決めて実施される.

いわばキャストだ.


そして教員の一部は救護スタッフとして,大震災が起きたときに傷病者を救護することを目的とした役を担当する.

MNBも救護スタッフの一員として参加した.

具体的な内容は差し控えるが,救護における技術的な難しさ,そしてなによりも救護する側の思考回路,行動パターンを鍛える上では非常に役に立つ訓練だったと思う.

関係各位の皆様,お疲れ様でした.




MNBは陸連のトレーナー部に所属し,様々な,本当に様々な大会で救護活動を実施してきた.

立場上,その多くは主任,リーダーとしての役割も担当させていただいた.

こうした救護活動において求められるもの.

それは「思考の瞬発力」と「決断力」だ.




想定外の問題が生じた.

さあ,どうする.



それは自分が動くべきか? 誰かに頼むべきか? 誰かを動かすべきか?

相手の状況はどうだ?

いますぐ処置が必要か?

どこで処置をする? だれに処置をしてもらう?

搬送先の状況はどうだ? 経過観察はどうする?



いろいろなことを出来るだけ短時間に決定しなければならない.



救護活動に慣れていない人間の共通した思考パターンとして(その行動を見る限り),決断が出来ない,遅れることが多い.

目の前に怪我をしている人がいて,自分なら何かをしてあげることができる状態にある.

けれども,自分が何かをしたことで,後で大きな問題が生じたらどうしよう.

相手によけい迷惑をかけたらどうしよう.

あとで叱責されるのが怖い.どうしよう.



この「どうしよう」が3つも重なれば,決断は出来なくなる.

そして,この「どうしよう」は先を考え過ぎることによって生じる.

もし,これをやってしまったら・・・・あっちの方法の方がよいのでは・・・

そう考えると,決断とは「先を考えないこと」といえるかもしれない.



逆に言うと,「考えなくても確信できる未来」をどれだけ持っているかで,決断の早さは決まる.

こうしたら・・こうなる.

ああすれば・・こうなる.

というように,過去の経験をもとにした未来予測ができれば,決断は容易い.




とどのつまり,決断とは経験の積み重ねに頼るところが大きいのだ.


そして,その経験とは「自分自身の決断の繰り返し」だと思う.


何もしないと何も起きない.何も起きないから何も経験できない.


決断を先延ばしにするということは,決断によって得られる経験を放棄するということであり,その結果,人生の先にある決断しなければならない機会を逃すことに繋がる.


「決断するには,決断を繰り返すことが重要」ということになる.


決断を恐れるな,一歩を踏み出せ.