外的 → 内的へ
モチベーションの喚起にも色々ある.
昔,授業で習ったのは「外的動機付け」と「内的動機付け」
何か報酬をもらえるから頑張る.
罰せられたくないから頑張る.
積極的か消極的かの違いはあれど,これは両者とも外的動機付けに分類される.
いわゆる,報酬によるモチベーションと,恐怖によるモチベーションだ.
実は,これには限界がある.
例えば部活動での練習.
眞鍋監督,櫻井コーチに叱られたくないから練習を頑張る.
頑張るのは大いに結構だが,その矛先がおかしい.
言い方をかえれば,コーチがいなければ頑張れないということになる.
しかし,こうした恐怖によるモチベーションは強力だ.
古の軍隊などはそうだろうし,強豪とされる中学校や高校でも,知ってか知らずか,こうした方法を採用している部活動は数多い.
これを大学で採用するのはどうか.
仮に選手が強くなったとしても,大きなリスクも伴う.
もちろん,常にコーチは選手を監視する必要があるし,選手はつねに消極的な気持ちで頑張らざるをえない.
そして,なにより「表裏のある人間」ができあがってしまう.
怖い,怒られる,厳しい先生の前ではきちんとする.
自分を罰することができない先生の前ではだらける.
人間,だれしもこうした側面を持っているのだろうが,恐怖によるモチベーションはこれを加速させてしまう.
報酬によるモチベーションにも限界がある.
目標達成する度に,報酬の額が上がる.価値を高める必要がある.
これだと,どちらも身が持たない上,人間は慣れの生き物だからして,いつしか報酬は権利となってしまう.
例えば,記録をだせばミズノのスパイクをもらえる.関東ICで優勝すればヨーロッパ遠征に出場できる.
努力の報酬と考えると,決して悪いものではない.
が,しかしやはり「限界」はあるように思う.
だからこそ,最終的には「内的動機付け」を促す必要がある.
当初は恐怖,そして報酬であっても,最終的には,コーチも選手も「自身の内的動機付け」を助長するような行動,心の持ち方へと移行しなければならない.
自分自身の能力を発揮し,自分自身が「なりたい自分になる」
そのために努力をし,目標へ走る.
自分がどうありたいか.
コーチがどうとか,周りがどうとかじゃないんだよ.
君自身の価値と,やることと,なすべきことを決めるのは,全て君自身だ.
自分に責任を持とう.
そして,自分の価値を高めよう.