評価

人間が下す評価っておもしろい.

当然のことながら,基準は自分が経験してきた物事になる.

ふと思ったのが,車について.

とある雑誌を読んでいたら,ある車についての特集記事が組まれており「ハンドリングはかなりのレベル.もう少し後輪が踏ん張ってくれれば,スポーツセダンとしてとらえることも可能」という具合の記事が載っていた(若干MNBの脚色が入っているため,引用ではない).

しかし,とある試乗記を見てみると,「ハンドルを切るとロールが大きく若干違和感のある曲がり方をする.ハンドリングという観点からすると,気持ちが悪い良いとは言えない.」

そして,持ち主の評価は「スポーツ走行(ハイスピード走行)をすると,ある時点から急激に後輪がスライドするのが最高.前輪の接地感もよく,本当に気持ちのよいコーナリングが可能.」


なんじゃそりゃ.

まあ,車の世界では「買った人が一番偉い」という言葉あるくらいだから,最後の持ち主の評価が一番なのだろうが・・・

もっと分かりやすい例にすると,たとえば私のインプレッサ

市販車レベルでは,おそらくクラス世界最高の性能を有しているが,それはあくまで「ドライビング」に関してのこと.
快適性に焦点を当てたとたん「とても300万円レベルの車とはいえない」ということになる.
でも,持ち主は,これで十分快適.
むしろ,以前乗っていたマーク2よりもロングドライブは楽.
という評価を下す.

結果,同じくらいの値段出すなら,絶対にインプレッサ.という評価になる.

しかし,うちの親父からすると,もうアホかと.

うるさいわ,乗り心地は悪いわ,運転しづらいわ・・・だそうだ(泣).

わかるよね.
つまり,何を基準にするかということ.

これは人間にだって「ある程度」は通用することだろう.
「ある程度」としたのは,人間というのは成長したり,変わったりするものなので,常に同じ評価を下すことができないから.

まじめな人が好きならば,細かいくらいの性格が「良い」ということになるだろうが.
ぶっきらぼうな人であれば,「いやだ」になるだろう.


何がいいたいか分かる?


「完璧」はないということ.


誰だって良いところ,悪いところがある.

でも,いつしかそんな当たり前のことに気づけなくなってきている人が多いような気がするのは私だけだろうか.

文句を言うのは簡単なのだ.

でも,その前にちょっと考えよう.

その人には,その人なりの事情があることには間違いないのだから.

それで,その事情を加味した上で,判断しよう.

インプレッサの乗り心地が悪いのは,コーナリングでロールをさせないため.
硬い足まわりにしないとロールしてしまい,俊敏なコーナリングやダイレクトなハンドリング感を得るのが難しくなる.
さらに,ダンパーをもっと良いものにすれば,サーフェスの急激な変化もいなしてくれるのだろうが,今度はコストがかかる.

褒めすぎはよくない.けなしすぎもよくない.
褒めるの簡単.でも,けなすのもっと簡単.


さて.明日から日本ジュニア.
我がIBUからは若き精鋭7名が出場.
ただ問題は天気.
今年は本当に雨にたたられてるな.
どうなることやら.