ドーピングの罪深さ
08年北京五輪男子400メートルリレーで、金メダルを獲得したジャマイカのネスタ・カーター(30)が同五輪のドーピング再検査で陽性反応を示したと、ジャマイカ・オリンピック委員会が明らかにしたとのこと.
まだA献体だけの結果だが,おそらく今後B献体も検査され,もしそれが陽性ならば,ジャマイカチームの金メダル剥奪.
同時に日本チームが銀メダルに繰り上げ,そして4位のブラジルが銅メダルに繰り上げという形になる可能性が濃厚となる.
MNBは日頃から授業などにおいて,ドーピングで一番罪深いのはこうした他者に与える影響ではないかと論じている.
アテネオリンピックにおける室伏選手も同様.
スポーツが我々にもたらしてくれる大きな感動,賞賛.
それを,現地で,あのスタジアムで,共に戦ったライバルをたたえ合い,支えてくれた仲間を賞賛し,表彰台が感動の渦の中心となる.
その権利を踏みにじる行為がドーピングだ.
もし,室伏選手がアテネのあの場で金メダルを獲得し,それを首に帰国したことを考えたらどうか.
やはり銀メダルとは,本当に様々な面で大きな差が生じているはずだ.
選手によっては人生が大きく変わることもあるはず.
もし北京オリンピックでブラジルが銅メダルを獲得していれば,その選手達,その種目は来るリオデジャネイロオリンピックの強化に関して何かしらの動きがあったはず.それも無かったことになった.
ドーピングが罪深いのは,自身だけでなく,こうしたライバルや仲間達の運命まで狂わせ,スポーツの根っこにある「感動」を踏みにじる,場合によってはないがしろにすることだ.
頼むから「同じスタートライン」で勝負させてほしい.