インプットとアウトプット
仕事について長い目でみてみる場合,インプットとアウトプットのバランスを大切にしている.
いわゆる知識の話.
学会や講習会で学ぶ = インプット
授業や講演をする,論文や記事を書く = アウトプット
このバランスが崩れると,良い仕事ができなくなる.
たとえば,インプット>>>>>アウトプット という状況では,知識や情報を仕入れるだけで行動を起こしていないわけだから仕事になっていない.
ただし,人生において必ず必要な時期ではある.例えば教員を目指している学生などは,極端にインプットが多い時期が必要だ.その時にインプットした情報,学んだ知識は,今後における「知」の幹となる.幹が太ければ太いほど,多くの枝・葉をつけることができる.
しかし,実際に社会にでて仕事をしている人間が,インプットばかり増やすのはどうもいけない.
何が悪いかというと,これはMNBに限ったことかもしれないが,頭の中にある情報量が多いほど,まとめるのが難しくなり,仕事としてのアウトプットがしにくくなるからだ.
いわゆる飽和状態であり,あれもこれもとアウトプットしたくなる.
これでは焦点の定まった良い仕事はできない.
いわゆる頭でっかちと呼ばれるこうした状況は,他者に対して被害を与えないかもしれないが,自身がもつ多大な可能性を狭めることにも繋がりかねない.だから注意が必要だと考える.
その一方,インプット<<<<<アウトプット という状態もよろしくない.
いや,他者へ与える影響が生じるという意味では,時に危険ですらある.
中身がともなわず,表面上だけの知識で何かを表現する.
むろん,それを問題提起として捉えるのはかまわないが,周囲はそう捉えてくれないことも多々ある.ブログの炎上事件などは,こうした食い違いも発端になっていることが少なくないかもしれない.
情報社会と呼ばれて久しい現代においては,むしろ情報が簡単に手に入れられる分,こちらのほうが問題となることが多いのではないだろうか.
つまり知りたいことが,その結果だけ簡単に手に入るため,プロセスに隠された「英知」「雑学」「教養」を得にくくなり,場合によっては欠落してしまうこともあると思う.
さらに言えば,プレゼンテーションのノウハウや自分を良く見せるための技や言動が得意な人間ほど,気をつけなければならない.
借り物や表面上だけの知識ばかりひけらかしていると痛い目にあう.そういう例は何度も目にしてきたし,かくいうMNBも何度も痛い目に遭ってきた.
とはいうものの,アウトプットとインプットのバランスは決して 1 対 1 ではなく,十分なアウトプットするためには,その何倍,何十倍ものインプットが必要であることは間違いない.
さらに言えば,インプットとは単純な知識や経験だけではなく,似たような,いや,場合によっては全く異なる知識や経験を転用することも含まれる.
ペットボトルに残っている水を単なるH2Oとして捉えるのか,無限にひろがる用途を想像できるのか.
満足いくアウトプットを増やしたければ,インプットを増やすしかない.
でも,やはり度が過ぎると上手くいかなくなる?
やはり何事も適当な加減があるものだ.