コーチの役割 責任を「自ら背負う」

責任は「とる」ものではなく,「おう」ものだ.

「おう」とは「追う」」ではない.「負う」もちょっと違う.

「自ら背負う」だ.



スポットでトレーニングだけを指導している者をみていると大丈夫か? と思う.

それなりの勉強をしているのだろうし,経験を積ませてもらっているという感謝もすばらしいだろう.

もちろん,監督やコーチは,そうした「スポットコーチング」には大した期待をしていないだろうから,大きな問題はないのかもしれない.しかし,その競技のルールや特性を身体で理解しているのだろうか.

国立スポーツ科学センターに勤務していたMNBの先輩が,「スポーツ科学の役割」というテーマで科学者の心構え,姿勢について以下のように述べている.

「まず考えなければならないことは、競技現場で生じる種々の問題に対して、科学が最良の解決方法であるかどうかという根本的問いかけである。必要も無いの に科学は重要だからと言うことで盲目的に無用の分析を繰り返すことは労多くて益は少ないであろう。このことに対して、われわれ科学者は深い洞察と慎重な取 り組みが必要であり、そのためには当該の競技種目に関して競技経験を有する等精通していることが重要であろう。」(http://jpnsport.go.jp/jiss/jigyou/column/igaku/igaku_06/tabid/432/Default.aspx より抜粋)



スポットで指導する者に一番重要なのはこうした「覚悟」だ.



「そのトレーニングは本当に必要なのか?」という問いに対し,どのような答えを持っているのだろうか?

大いに心配だ.



その答えは経験によって導きだされるかもしれないし,論理的思考から導きだされるかもしれない.

時には,過去の明確なエビデンスによるかもしれない.

どのような過程でも良い.しかし,少なくとも指導する側には「自分はこの方法で絶対にいけると思っている」という覚悟ないし責任を,自ら背負う姿勢は必要不可欠ではないだろうか.



レーニングとは効果測定が非常に行いにくい.

言い方をかえれば,「逃げ場」があるということでもある.

選手が負けても,自分の力を発揮できなくても「それは自分のせいではないかもしれない」と流すことができる.

このトレーニングにはこういう効果がある! と長所をあげるのは学生でもできる.

しかし,このトレーニングを行うと,この部分がおかしくなる.と短所を述べることができる者は少ない.

さらに「弱くなるトレーニング」を知っている者はさらに少ない.



これは我々監督,コーチも同じ.

だからこそ,「勝利は選手のもの」「敗北は監督の責任」なのだ.



コーチの由来は「馬車」である.

指導する立場にあるものは,共に勝利への道を歩む覚悟をもってほしい.