会議をしながら仕事はできない

会議って何のためにやるんだろうか.

というよりも,そもそも組織において会議はどれくらい必要なのか?



と,常々感じるのは「会議をしながら仕事はできない」からだ.



たとえば,その組織のトップが,組織が有るべき姿を明確に提示し,部下が(良い意味で)勝手に動き,求められる成果をあげる.お互いが仕事の邪魔をすることなく,円滑かつ流動的に,時には協力しながら最高の仕事を進める.

これは最高の組織であり,おそらく働いている人員のみんなが幸せであり,充実しているだろう.

トップに対して報告があがってくるのは当たり前で,組織の構成員にその成果が提示されるのも当たり前.透明性が高く,トップからの指示も「常に納得できる理論,理屈」があるから,多少の不満はあったとしても疑問は生じない.

皆を集めて確認しなくとも,すでに皆が自分がなすべき仕事を理解している.



しかし,そのような組織でも,万事がそのように上手くいくわけではない.

方向転換せざるを得ない条件が生まれたり,一時的にせよこれまでの方針とは異なる方向を向かなければならないことが生じる.

結果,例外的に「会議」が発動され,本当に必要な人員が招集される.

そこで決まったことは「絶対の方針」であり,組織を構成する全員に周知された瞬間から新たな方針として機能する.



もちろんこれは夢物語で,組織が大きくなればなるほど,様々な理由から「そうはいってもねぇ」となるのは間違いない.

けれども,こうしたことをふまえた上での「会議」であるということを理解しているか,そうでないかだけで,会議のもつ意味合いや真剣度は変化すると思う.

だって,なんども言うけど会議しながら仕事はできないのだから.





一方,例外的に複数の会議を必要とする組織もある.

例えばMNBの職場である「大学」

企業であれば目標は「売り上げ」に集約されるだろうけど,教育・研究機関である大学の場合,目標や目的を一個に絞ることが大変に困難.

さらに,様々な専門家(もちろん教員だけでなく職員も含む)が集まっており,それぞれの得意分野が異なり,目標達成のために仲間がどのような行動をとっているのかがわかりにくい集団.

個々の専門性を活かしつつも,組織としてまとめる,まとまる必要があり,時にはその専門性を無視せざるを得ない小集団(委員会など)も構築しなければならない.

結果,会議を利用する.

こりゃ仕方がない.




でもやっぱり,仕事ができない時間は少ないほうがイイとは思う.