「便所飯」イヤなものにはフタをするという習慣がついてしまいそうだ

昨日のエイプリルフール.気の利いた日記を書こうと思ったのだが,,,このヒトの日記をみて爆笑してやめた(笑


昨日,教え子たちと食事をしていたときに「今の若者に関する常識・・・?」的な話になった.

で,一番びっくりしたのは「便所飯」なるもの.

これは,学校や職場で一人で食事する姿を見られないように隠れて食事を取る現象(精神科医町沢静夫氏によって「ランチメイト症候群」と命名されている)のうち、トイレでの喫食をク ローズアップした言葉である。一人で食事することを見られたくないと思う背景には、一人でいる=友達がいない=魅力がないという不安が ある。「便所飯」自体はもともと都市伝説の一つとしてネット上などで冗談半分に語られてきたが、実際そのような現象が大学生、 特に1年生女子に多く見られるケースとして「便所飯」という言葉がメディア上でも使用されるようになった。(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0707&f=national_0707_024.shtml



なるほど.気持ちはわからんでもない.

確かに,ひとりぼっちで食事をしている周囲が,みな楽しそうにおしゃべりしていたら,「あ〜俺も加わりたいな」と思うかも.


でもトイレはねーだろ.トイレは.

トイレの神様に怒られるぜ.べっぴんさんになれんぜよ.


実は,MNBもごく稀に学食で一人食べることがある.

どーしても学食で食べたいメニューがあるから(w

その時は一人だろうがなんだろうがカンケーなし.周りがどんなに楽しそうでもカンケーなし.

だって,その食事が目当てだから,他の副産物には興味ない.

会話は脳内.たまに学生を観察してみるのも面白い.悪趣味か.



便所飯という行為をしていること自体に,かえって嫌悪感を抱いてしまうのではないか心配だ.

あ〜,おれは本当に友達がいないんだな.そしてそれを知られるのがイヤでこんなところで飯食ってる...なさけないなぁ.と自嘲してしまうのではないか.


便所飯という行為で解決できるものは「自分では恥ずかしいとおもっていること」を他人に見せないだけであって,根本的な解決策に繋がるものではないのでは? ここら辺は心理学に詳しいひとに訊いてみよう.



だったら,学食のどまんなかで食事をしながら「どーだ.おれは一人でも食事できるんだぜ.おっと,おれのことを哀れむなよ.今日のおれはロンリーウルフスタイルなんだ.ストロングだぜ」と脳内で虚勢をはりながら食事をしよう.

(本来はまったく恥ずかしくないのだが,恥ずかしいと感じているヒトは)自分が恥ずかしいと思っている行為に耐えることで,恥ずかしさ耐性もつけることができる.一石二鳥だ.



さらに進化させて割り込むというのはどうだ?

仮面ライダーフォーゼの主人公,如月弦太朗ばりに「全員と友達になる」という目標をもって,「すいません.私,今日一人なんです.さみしいから一緒に食べてもいいですか?」と突撃するのもアリだ.


,,,いや,ひとつ盲点があった.

トイレの個室があまりにも魅力的で,どうしてもそこでご飯を食べずにいられない衝動に駆られての便所飯なのか?

武大が誇るパナユース&秀和ビルメンテナンスさんなら,それくらい魅力的なトイレを作ることも可能だ.

汚さはみじんもない.なるほど,便所飯の裏にはそんな事情が...ってアホか.



いずれにせよ,MNBの教え子には,当たり前(一人で食事)のことを惨めに感じるような気持ちにだけはさせたくないなぁ.

イヤなものにはフタをするという習慣がついてしまいそうだ.