災害ボランティア その2

先週,4月10日から15日までの間,陸上部所属の原田光暉と,元陸上部の林万理子が災害ボランティアとして石巻に行ってきた.

原田から届いた報告を下に記す.
つたない文章ではあるが,あえてそのまま掲載しようと思う.

学生がボランティアに行くことに賛否両論はあるだろう.
彼らにも日常生活,練習,様々な「やるべきこと」がある.
余震も続くなかでボランティアに行くことに抵抗を示す親もいて当然だ.
しかし,原田と林は決断した.
可能な限りの安全確認をし,その意思を尊重した.

                                                      • -

今回、私は家族を始め先生方、監督、たくさんの方々の協力、了承を得て東日本大震災災害ボランティア活動をしてきました。
宮城県石巻市であり,卒業生、院生、同期を含む計4人で行ってきました。順調に高速道路を走り宮城県に向かう最中、福島県に入る頃から道が非常に悪くなり、高速は80キロ規制、PA,SAには日本赤十字や被災地に行くであろう人々でたくさんでした。
福島県郡山を走行し周りを見渡すと、屋根にブルーシートがかかった家が多くなり、規制も50キロ。これだけでも震災の被害はすさまじい物だと感じました。景色は近づくにつれて被害が大きくなり、石巻市に着いた頃には被害がほとんど把握できたようなものでした。

夜はボランティア団体の代表者が集まり結果報告をするミィーティングに参加させてもらいました。雰囲気は基本明るく、意見を明確に早く出し合いしっかり話し合ってました。一ヶ月経ち現実味を帯びてきて、情報がバッティングしてきているようでした。連携と決断力が凄くボランティアに行くところはたくさんあるから考えてたら駄目で、気軽にやることというのは納得しました。
初日は、石巻市周辺で海産物の加工工場から民家に流れ込んだイカを撤去し臭いを消すEM菌の散布を行いました。この作業はボランティアの人達の中でも噂になるくらい過酷な作業で、工業用マスクをしても意味がないくらい臭いが強く着て行った服は全滅、着替えは三回しましたが、千葉に帰ってからも臭う位強烈でした。ちなみに腐ったイカからガスが発生し人間はこのガスで亡くなってしまうそうです。EM菌を散布しても臭いは残っていました。この作業の間にも隣の民家のおじいさんが一人で必死に片付けをしていて大物家具の運び出しもしました。さらに隣の民家のおばあさんとは作業しながらも話を聞き、
おばあさんは目に涙を浮かべながら、こんなことになるなら私も津波で流されてたほうが良かった。と言われた時には、とても心が痛みました。でも話しているうちにこれから頑張っていくと言ってくれて本当に良かったです。


二日目は、リラクゼーションチームと同行し、中でも整体チームと活動しました。主に整体スポーツマッサージと子供達と遊ぶ活動をしました。行った場所は約50人の避難所でした。実際に被災した人達がいる避難所に入る時は、とても不安になりました。その不安のせいか子供達にどう声かけたらいいのだろうと悩み近づけませんでした。外に一旦でて力仕事なら出来るからと思い、男の人達に声をかけました、ですが表情はとても暗くボランティアのやる仕事はないと言われショックを受けてしまいました。でも落ち込むためにここにきたんじゃないと思い出し、また中に戻って必死に活動しました。すると、子供達は笑顔になってくれて私の所に来てくれるようになりました。子供達とはドッジボール、 サッカーをしました。でも一番私が最高の笑顔を見れたのは、三人一気に抱っこした時です。子供達から避難所の大人、ボランティアの人達まで笑顔にすることが出来ました。自分が役に立ってると思えた瞬間でした。でもまた明日来てくれるよね?という子供達からの問いかけに応えられない辛さもありました。
避難所から帰る時おじいさんが私たちの車が見えなくなるまで手を振ってくれた時は本当に辛かったです。でも避難所のみんなの笑顔は必ず他の避難所の人達に届くようしっかり僕が預かって行くと決めてその日は活動を終えました。


三日目は、二日間で行ったなかでは比較的に被害が少ないお宅の大型家具や浸水した際の畳の撤去をしました。貸家と言う事で慎重に作業をお願いされました。外観は被害なさそうに見えたのですが、家の中はひどくやはり住めるようなものではありませんでした。順調に作業を行っている途中,道端で作業をしていたら、一人の方が飲んでいたジュースの空き缶を私の目の前に投げ捨てて行ったりもう一人の方は舌打ちをして去っていくなど、非常に心が痛む場面もありました。この日は作業が早めに終わったため、現地で四日目にして一緒に作業した人と自衛隊のお風呂に行きました。整理券を渡され中に入るとたくさんの方が順番待ちをしていました。ローテーションは早くすぐ入れました。浴槽は正直きれいとはいえませんが、本当にありがたいと思いました。


四日目は、整体チームと同行しスポーツマッサージをしました。行った避難所は約130人避難している方がいました。活動してきた避難所の中では一番人数が多い避難所でした。元気よく笑顔でしっかり11人の方をマッサージさせていただきました。話した人のほとんどは遠い避難所から移動してきた人ばかりでした。自分が撮ってきた写真を見せたりしていると「ここ俺んちだったんだ」と言われその場所の今の作業状況を伝えました。悲しそうな表情でしたが、ありがとうと言ってくれました。実際に見に行けないから本当にありがたいと言ってました。たくさんの方々をマッサージして、たくさん話して中には、お礼の手紙をくれて名刺をくださいと言われあげたところ「無事に家に帰れて普通の生活 に戻ったら電話するね」と言われ、本当に一生懸命活動して良かったと思いました。 こうやって自分が一生懸命活動したことによってたくさんの方々に笑顔を与えることができ、ごくわずかではありますがこの活動の意味を果たすことが出来たと思います。今後も現地に行った者として出来ることはやって行きます。


実際に現地に行き自分の目で見て、感じ、今後地震が起きた時への対策を学ぶことが出来ました。復興までには長い年月がかかります.ですが日本人の善意の心は素晴らしく日本がひとつになればなるほど早い復興が可能になるのは確かです。本当に日々普通に生活できるのは奇跡だと思います。無駄な一日これは本当にあってはならないと深く考えさせられました。毎日を濃く充実したものにししっかり生きていくことが僕達の使命であると思います。一ヶ月一日一分一秒でも早い復興の為に自分はどうあるべきか考えるだけでもそれは立派なボランティア活動。太く長く生きるため、余力は残さず必死に毎日を過ごすべきです!

                                                      • -