たかだか修士論文だ

MNBにも大学院生という時期があった.


当時,私が進学した大学院は「博士課程」だったが,一般的な博士課程とは少々カリキュラムが異なった.

現在,多くの博士課程は,修士号を取得した大学院生が,さらに勉学を極めんと進むコースであった.

つまり,2年間で修士号を取得し,さらに進学する先という形だ.


だが,MNBが在籍していた筑波大学では,修士号を取得していない,つまり学士の段階でも博士課程の1年目へと進学することができた.

そして,その最初の2年間で博士論文の一環(研究課題の一部)としての修士論文を提出することで,まずは修士号を取得することもできる,,という流れだった.



MNBは2年生の夏には修士論文を完成させていた.

それを「速い!」と感じるのか,「当たり前」と感じるのかはおいておく.

事実,多くの学生は修士論文を事実上「1年」で仕上げている.町田もそうだし,木戸もそうだ.遠藤や横野はもっと短い時間で仕上げていた.

これまでMNBが指導してきた学生のほとんどは,テーマの決定に1年を費やし,そして極めてのんびりと半年を過ごし,残りの半年で一気に修士論文を仕上げるという,なんとものんびりとした進行状況だった.


それではいけないということに,多くの学生が気づいていない.

「たかだか修士論文」を完成させても,何にもならない.当時のMNBにとっては,その果てしなく先にある博士論文を仕上げるための過程であり,さらに言うなれば様々な研究テーマの一部であった.

MNBは大学院時代に14本の原著論文を仕上げた.うち7本が筆頭著者だ.

訳本も,高校の教科書も分担で仕上げた.

そうすることが,目的につながると理解していたから,必死で論文を書き,そのスキルを磨いた.

そうした過程に修士論文があっただけであり,論文自体はMNBにとって大きな価値はない.



院生諸君.「修士論文」なんかスグにやっつけてしまえ.

そんな小さなワクにとらわれるな.

君たちの可能性は無限大ではないし,2年間という時間的制約もある.さらにいうなれば,あと60年もすれば永遠の眠りにつくのだ.

もっとできるはずだろう.

もっとやりたいはずだろう.

今の君に何ができるか.

とにかく行動せよ.