叱る = 怒る ??
もし,自分の子供が「明らかに悪い,褒められない行為」をしていたらとしたら叱るだろう.
自分が所属している部活動の学生が同じことをしても同様.
では,これまでに関わったことのない学生ならば?
「つい」見過ごしてしまうことは悪なのか?
そこまで面倒見切れないよと切り捨ててしまうのか.
叱る=怒る ではない.
見知らぬ学生が「悪いこと」をしていたとする.
見たこともない学生だから,イマイチ「怒り」がわいてこない.
だから叱ることができない.注意することができない.
叱る=怒る の回路しか無い場合では,自分自身の中に怒りという感情がわいてこないかぎり,叱るという行動を起こしにくいのだ.
重要なのは「叱り方のバリエーション」を持つということ.
極めて軽い感じの注意.「ヘイヘイヘイ! ダメじゃね〜かぁ? 知ってるだろ? 注意せーよ・・・」とたしなめることが出来れば,相手もそんなに悪い気はしない...と思う.
叱るというのは,当然ながら相手とのコミュニケーションである.
叱るに至るまでの経緯,相手の様子,自分の感情状態.様々な要素が絡み合っている.
叱り方のバリエーションを持っていなければ,こうした様々な要素をコミュニケーションに反映させることができない.
常に「キサマ! 何をしとるか!」になってしまう.
最近の親,または教師は「怒ることができない」と何かの記事に書かれていた.
教育実習指導で伺った高校の校長先生のお言葉.「生徒指導できる体育教師を育ててください」
まずは叱り方のバリエーションを教える必要があるのではないか・・・と自責の念に駆られてみた