品位と品格を兼ね備えた社会のロールモデル
JOCゴールドプラン委員会は,日本代表選手団の社会的な位置づけを明確にする文書「ポリシー・ステートメント」を作成する方針を理事会に提案.了承されたとのこと.
日本選手団構成員を「品位と品格を兼ね備えた社会のロールモデル」と定義するという.
先日のバンクーバー五輪で代表選手の服装問題が取りざたされたことがキッカケの模様.
「ただ強ければ良い」. そういった考えに対してMNBは「スポーツ界」としては断固反対するべきだと考えている.
スポーツ界の普及という観点.トップカテゴリーにいる競技者達はあこがれの存在である.子供も,大人もみなあこがれる.そして注目される.
そうした競技者達に品格を求めるのは教育者の都合かもしれない.
けれども,皆があこがれるから「競技者の肉体的価値」は向上するし,応援もしてくれるということは忘れてはならない.
支援を受けるということは,支援してくれる人・団体が臨む役割を担わせてもらっているということだ.
陸上部のモーゼス夢が,ある会社から支援を受けたとする.
競技力という記号にだけ魅力を感じて支援してくれている支援者は,モーゼスが怪我をして試合にでることができなくなったら,支援をやめるだろう.
しかし,モーゼスという人間を応援してくれる支援者ならば,たとえ一時期結果が出なくとも,復活を信じて支援を続けてくれるはずだ.
魅力がある競技者になるほど,品位が求められる.
そして,その品位は競技者自身を助けてくれる.
今年度,陸上部からの進学率が高かった本学の大学院.
大学院生としての資格があると判断されたからこそ,諸君はあと2年.国際武道大学の看板を背負って競技を続けることができているのだ.
そこには「自分さえ」という考えは通用しない.
陸上部における関東ICの代表選手.
「代表選手しか点は取れない」のである.
マネジメントがいくら優れていても,応援がいくら立派でも,それだけでは入賞することは出来ない.
良いマネジメント.すばらしい応援.トレーナーのサポート.
代表選手という存在は,皆の思いを「背負わされてしまう」のである.
こうしたことが「いまさら」文章として形となるようだ.
当たり前に出来ていたことが出来なくなってきたから「いまさら」なのか.
急激に変化していく社会情勢を反映して「いまさら」なのか.
スポーツの果たす役割が大きいということに社会が気づき始めて「いまさら」なのか.
いずれにせよ,我々指導者にも大きな責任が問われるようになるだろう.