ZONE解放後
鬼のような迅さで原稿を仕上げるMNB.
今月はリクマガ,東京マラソンHP(マラソンマン),月陸アスリートのためのコンディショニング発刊前チェック,陸上競技研究の研究報告投稿,さらに文光堂から出版される本の執筆担当者として2編(でもこれは年始が締め切り).
その合間の日曜日に,東京外国語大学リーダーシップトレーニングでの講師,混成陸連合宿,ハンマー関東学連合宿....
めまいを覚えつつ,...ひさしぶりにZONEに入りました.
で,ふと気づきました.
ZONEにはいっている間に書かれた原稿は引用文献が極端に少ない.
おそらく,自分の考えで一気に進めるからでしょう.
そして,こうして書かれた原稿というのは,なぜか「評判が良い」という傾向にあります.
理論的根拠がしっかりしていて,文献で理論武装した文章というのは「だれからも批判はされない」ことがほとんどです.
けれども,それだけでは「面白みに欠ける」ということが最近わかってきました.
原稿を読む側,話を聞く側が自分と同等,もしくはそれ以上の知識を有しているのであれば,それでも十分面白いと受け取れるかもしれません.
しかし,特別な知識をもたない一般聴衆からすると,ガチガチに固められた内容は即座には理解しにくく,面白いと感じにくいのでしょう.
逆に言えば,論文など論旨のクオリティが求められる場合はガッチガチに理論武装させる必要があります.
もともと執筆者としてのMNBは論文畑出身のため,理論武装でガッチガチの文章が好きでした.
けれども,最近になって「それだけ」ではダメということを感じ始めました.
これはトレーニング指導などにおいても同様です.
MNBの尊敬するとあるコーチが「研究は研究ですばらしい.その成果もすばらしい.けれども,それらは全て後追いであり,一般化されたものであるため,俺のなかでは単なる思考ベースにしかすぎない.そうした研究成果を元にトレーニングを進めるということはほとんどない.人間にはたくさんの可能性と癖があり,そうした個性を一般化された研究で推し量ろうとすると,一般的な結果しかでない.俺はこの選手に対して,最高のトレーニングを提供し,最大限の結果を出してもらいたい.そのためには一般論では通用しない.」
といっていたことを思い出しました.
少々意味はことなりますが...
分野の異なる人たちに面白いと思ってもらう,さらにいち個人に最大限の成果を出させてあげるには清濁併せ持つということは非常に重要だということです.
・・・集中がきれた後に文章をかくと,こんなんになりました.
あとで消すかも.