どう生きるか

大学の教員になって,陸上部の監督になって,父親になって,,,こういう立場になると,物事に対する悩み方も変化してきます.

自分の力が足りずに苦しむ,それはむしろ良いことでしょう.

自分自身が切磋琢磨し,頑張ることで成長できる.そのきっかけとして,苦しみがあると思えます.


しかし,自分自身の力が及ばない,なかなか力になれない.でも,何とかしたい.

そういう苦しみは,自分自身で解決することが非常に難しいため,苦しみは大きくなる気がします.



説明は難しいけど,一番わかりやすいのは自分自身の子供が病気になったとき(あ,イヤ,これはあくまで例え話ね.芳海は元気です).

自分の子供が苦しんでいるのに,自分自身は何もしてやれない.そういう気持ちが,人間にとって一番くるしいのではないでしょうか?

ならば,いっそ自分が身代わりになってやりたい.


それを愛情と表現するべきかどうかは分かりませんが,いずれにせよ,人間には「情」というものがあります.

情が深くなるということはすばらしいこと.大きな喜びや幸せを手にできるでしょう.

しかし,その分だけ苦しみも味わわなければならないということです.







と,いうことをおそ〜〜〜いKTRを追い越すときに考えてました.


???オマエハナニヲイッテルンダ???


つまり,


1.制限速度の半分くらいで走っているKTR

2.それをゴメンナサイということで追い越す(もちろん追い越しOKの区間です)

3.でも,その直後の信号で追いつかれる(爆笑

4.結局,信号で一緒になる確立が高いのだから,急いでも結局一緒.なら,のんびりいったほうがよい と思われる?


チガウのだ.一生懸命生きるということは,惰性で生きるということではない.

人間はどうせ死ぬのだから,なにをやっても一緒.

という考え方になってはいけない.

ただ生きる.のではなく,どう生きるか.が人生には重要なのだ.



練習も一緒.


ただ,やるのではなく,どうやるのかが重要.



必死になれば,なるほど苦しい思いもするし,大変な思いもする.


喜びも同様.  




・・・という考えから,序文のようなことに考えが移り・・・ってMNBの頭んなかは小宇宙か!?



だいぶ話がそれてきましたが,これから練習なので,また.