国立の思い出

国立競技場の思い出.

陸上競技に関わる人間として,様々なステージを経験してきているが,そのたびに「聖地」国立霞ヶ丘競技場との思い出があった.



筑波大学入学後,2年生の時にインカレ総合優勝をあと数点差で逃したときの落胆.今も変わらぬ第3コーナーの応援席.総合優勝を逃した悔しさをたかだか2年生に理解できるはずもなく,むしろ先輩達が流した涙をみて「陸上競技でここまで熱くなれるんだ」と感じていた.


現役選手として戦った最後の国立は大学院生時代.

腰痛をおして戦った結果は初の入賞もれ.チームに1点も貢献できなかった.
ゴール後に恩師・尾縣貢先生へ土下座しながら流した涙で現役での国立が終わった.

翌年.コーチ的立場として陣取ったのは,メインスタンドのスタート側上段.これも,筑波大学としては今も変わらない伝統の場所.

最終日のマイルリレーが終了した瞬間,男女アベック総合優勝が確定.スタッフ全員で万歳をした場所.自分たちが達成できなかった悔しさと,一緒に練習してきた後輩達が達成した誇らしさを教えてくれた場所.



そして次なるステージ.国際武道大学へ.

武大最初の国立との思い出は関カレでの二部陥落.

最後の集合.ゴール付近で涙を流しながら,声を震わせながら悔しい気持ちを部員にぶつけてしまった場所.あれから9年も経つ.

それからしばらくは「国立は苦しい場所」となった.

実は,翌年,二部での圧倒的勝利を達成した瞬間は日産スタジアムだったからだ.歓喜の瞬間は国立ではなかった.

さらに翌年.コーチとして密かに抱いていた野心.母校の混成ブロックに勝利する.指導的立場で迎えた二度目の歓喜を国立で迎えることができた.

あれから様々な戦いが繰り広げられ.国立は戦いの場となった.あそこで過ごす時間はとても濃いものとなり,人生に大いなる彩りを与えてくれる場所となった.

いま思い返せば,妻が初めて日本記録を出したのも国立での日本選手権だった.

さらに,役目を終える国立で,ラストメモリアルゲームスin国立というイベントも成功できた.



MNBの陸上競技年表を作成すると,節目には必ず国立の文字が出てくる.

そんな聖地が,もうすぐ役目を終えようとしている.

再度,国立のトラックを踏みしめるときは,どのようなステージに立っているのだろうか.



ありがとう.国立競技場.