トレーナーという生き方

挨拶の語源
挨拶の「挨」とは「押す」「開く」の意味.
挨拶の「拶」にも「迫る」「挟みつける」「おしつける」の意味.
挨拶という文字の意味は,本来は「身をすり寄せて押し合う」こと.
禅宗では,師匠が弟子に対して悟りの深さをはかることを「一挨一拶」と呼ぶ.

「挨拶」は心の鏡である.
「挨拶」の善し悪しはする前から決まっているという事実

良い精神状態でなければ,良い挨拶はできない.
悪い精神状態では,まともな挨拶はできない.
「挨拶」ができる精神状態を作りださなければ,自発的に良い挨拶はできないのである.

転じてトレーナー.
トレーナーとして良い仕事,良いサポートを行えるかどうかは,実行する前から決定している.
「選手のために,他人のために自分を活かしたい!」という気持ちがあれば,おのずと良い仕事はできるはず.

「こういった時にはこういったマッサージ」
「こうした時はこういう言葉がけ」
と,ルーティンワークになっているのでは下の下.

トレーナーとして活動する時だけが,「トレーナーの役割」ではないのだ.
トレーナーとは,人間性,人格そのものを示すのである.

教員も同じである.
対象は学生.より優れた人間性,高度な学識,高い競技力を得てほしいがために,我々は頑張っている.そういう思いがなければ教師になるべきではない.

仕事として,役割として,契約として動かなければならないのではなく,一人の人間としての生き方そのものが「トレーナー」であり「教師」であるべきだと思う.

そのために必要なのが知識であり,だからこそ勉強するのだ.
決して単位を取りたいとか,ATを取りたいから勉強するのではない.
トレーナーとして生きているのならば,ATなんぞ獲ってしまうのである.